明日お仕事したくない。そんな子供じみたラインを入れてから僅か二分。既読マークが着くと同時に、私のスマホが低く呻って着信を告げた。突如画面いっぱいに現れた七海建人という表示を前に、私はしばし凍り付く。どうしよう。怒られるかな。駄々をこねるなって言われるかな。そんなことを言われてしまったら 私、きっと今よりも更に月曜日に背中を向けたくなってしまう。……私がいくら月曜日に背中を向けたとて、月曜日のほうから迫り来るので結局のところ月曜日に背中から衝突するだけなのだけれど。
 いや。まずは月曜日ではなく、この着信に向き合わねばなるまい。息を吸い、止め、覚悟を決めて、私は緑色の通話マークをフリックした。ベッドに寝かせたままのスマホを持ち上げる元気も耳に当てる気力もないので、スピーカーボタンを押す。僅かなノイズ。布ずれの音。それに続いて、耳に融けるような甘く低い声。

『……もしもし』
「もしもーし」
『夜分にすみません、七海です』
「うん……知ってるよ……」

 このひとは律儀……というより、どこかビジネスライクだ。仲良くなりたいなと思ってもちょっと距離を置かれているような、壁を作られているような気がする。だからそんな七海くんが急にこうして私用とおぼしき電話を掛けてくることにも驚いたし、そもそも私は密かに七海くんに好意を寄せている身なので、至極単純にこの時間帯に聞く彼の声にドキマギしている。

「どうしたの?こんな時間に」
『いえ、杞憂ならいいんですが。何かあったのかと』

 七海くんの声の後ろから、ニュースキャスターの声がする。こん、と鳴った堅い音はコップをテーブルに置く音だろうか。彼は多分いま、自室にいる。どんな格好なんだろう。部屋着かな。二十三時を回っているし、お風呂にはもう入ったのかな。いつも几帳面に分けている金色の前髪も、下りて額を隠していたりして。

『……聞いてますか?』

 煩悩と妄想で思考を満たしていたらちょっと怒られてしまった。心配して貰っているというのに、私というヤツは。誤魔化すようにアハハとわざとらしく笑って、寝返りを打って天井を仰ぐ。あーあ、明日目覚めたらこれが知らない天井になってたりしないかな。どこか遠い、誰も私を知らないようなところの。

「聞いてるよ、ごめんね。……特に何があった訳じゃないんだけど。普通に、明日からのお仕事が愛鬱なだけで」
『……そうですか』
「うん。どうしても言いたくなって、七海くんとのラインに投げちゃった」

 そう自分で説明しながら、確かに業務的なやりとりをしていたのに突然“働きたくない”なんて送られてきたらそりゃ動揺もするだろうなあと思った。きっと私でも何事かなと首を捻ってしまう。

「そういう訳だから心配しないで、」
『週末に楽しみを作るといいですよ』

 私の声を、七海くんの声が遮った。真夜中だし七海くんに悪いなと思って会話を締めに掛かっていたけれど、彼自身が話題を提供してくれたとあれば話は別だ。私は寝返りを打ち、暗転したスマホの液晶に視線を注ぐ。

「そうは言っても……その週末までが遠いじゃん」
『我儘ですね』

 七海くんの声が笑っている。だから私もなんだか楽しい気持ちになってきて、友人に話すような砕けた言葉遣いを選ぶ。

「そうだよ。我儘だよ。私は心の底から今週が始まるのが嫌なんだよー」
『そうは言っても、明日は絶対に来ます』
「……うん……そうだね……」

 さすが七海くん。容赦ない現実主義っぷりだ。眼前に突き付けられた“絶対に訪れる月曜日”に、私はベッドの上で身じろぎをする。七海くんが少しだけ黙ってしまって、彼のうしろからテレビCMの音声がやけにはっきりと聞こえて来た。今話題の、アクション映画。

『……では、週の半ばに楽しみを作ってみてはどうでしょうか』

 熟考の末に差し出された提案に、私はなるほどと頷く。水曜日に何か楽しみがあれば、月曜日と火曜日を乗り越える気力になる。水曜日の楽しみを越えても、木曜日と金曜日を倒せば週末がやってくる。なかなかに効率的だ。

「それは確かにいいね。でも水曜に楽しみなんて……」

 私に恋人でもいれば、水曜日に逢瀬でも約束して励みにできるのに。そう拗ねかけたけれど、そういえば私は今、想い人と電話をしているのだった。駄目で元々。私は緊張が声に乗らないよう半笑いのトーンで、ひとつ提案をすることにした。

「……じゃあ七海くんが付き合ってくれる?」
『……水曜の楽しみにですか?』

 そう。短く答えたら、七海くんがふふっと吐息を漏らして笑った。あれ、これは、いけるかもしれない。 テンションの上がった私はスマホを手に取り、身体を起こすとベッドの上で三角座りをした。そわそわする。深夜に好きな人と電話で約束事なんて、まるで学生時代にでも戻ったみたいだ。

『私で良ければ、いいですよ』

 いいえ、あなたがいいんです。私は誰にも見られていないのを良いことに、大きくガッツポーズを決めた。

「よし、七海くんが付き合ってくれるなら月曜も火曜も頑張れる気がしてきた!」
『気がするだけじゃなくて、頑張ってください。私も頑張りますから』
「あはは、うん。七海くんも水曜楽しみにしててね」

 冗談めかして軽口を叩いたら、七海くんがまた静かに笑った。

『ええ。……とても、楽しみにしています』

 あまりに優しい言い方に、心臓がぎゅんと音を立てて収縮した。動揺する私に七海くんが『ではまた明日。 おやすみなさい』と淡白に告げる。私は自分でもなんて言ってるかよく分からないままに、たぶん「おやすみなさい」と返して通話を切った。
 暗転していた液晶が、先ほどまでのラインの画面に戻る。私の零した「明日お仕事したくない」という吹き出しの下に通話時間の吹き出しが現れて、更にその下にしゅぽんと音を立てて吹き出しが増える。『私も月曜日は嫌いです、おやすみなさい』私はついつい、声を上げて笑ってしまった。

かかってきやがれ月曜日

(さっさと倒して水曜へ)
Twitterでのワンドロ企画にて。
2021.08.29