私は、狗巻先輩のお顔がとても好きである。
 大きな瞳は長い睫毛に彩られ、去年から少し伸ばしているミルクティーみたいな色の髪はさらさらしていて。常に口元を隠しているその様も、彼が呪言師である以上そうしていなければいけないのは分かるのだけど、なんだか庇護欲がそそられてしまって年上の男性にもかかわらず非常に可愛いなあと感じてしまう。そして私が彼のことばっかり見ていることは周知の事実だし、狗巻先輩にも恐らく認知されている。私が北海道から取り寄せた絶品プリンを、ほんの一時間だけだからと記名もせずに共有冷蔵庫に入れておいたところ二年生の先輩たちと五条先生に食べられてしまい、大変にへそを曲げたのが昨夜のこと。彼らを代表してわざわざ謝りに来たのが狗巻先輩という時点で、私にとっての弱みがこの人であるとバレているのはもう、明らかなことである。

「高菜…」

 申し訳なさそうに狗巻先輩が眉をハの字にする。私は読み途中だったジャンプを一度膝の上に置き、ソファの背もたれから身体を起こして彼に向き合った。

「…一応訊きますけど、首謀者は五条先生ですね?」
「しゃけ」

 即座に狗巻先輩がこっくり頷いた。やっぱりか。なんとなくだけど、その時の光景が思い描けてしまう。脳内でイマジナリー五条先生が冷蔵庫を開けてプリンの箱を見つけ、わーここのプリン美味しいよねえ僕すごく好きなんだーちょうど4つあるし食べちゃおうよ、と軽口を叩いた。…記名してなかった私も、勿論とても悪いんだけども。虎杖くんの復活祝い――まるでイースターのようだが――にと用意したものだったから、プリンを楽しんだ跡地を見つけたとき余計にがっくりきてしまった。
 あの瞬間の哀しい気持ちがリフレインし、溜息がこぼれる。狗巻先輩は困った顔のままで、もう三歩ほど私に近づいてきた。

「すじこ…」

 ニュアンス的には、ごめんね…もしくは大丈夫…?のどちらかだろう。いつもなら狗巻先輩の顔面に免じて許しているところだけれど、今日の私は沈みに沈んでいる。なので彼が明瞭な言葉で喋れないのをいいことに、ちょっとだけ曲解してしまうことにした。

「狗巻先輩が埋め合わせしてくれるんですか?」
「ツナ、…マヨ」

 大きめの服でシルエットがなで気味になっている彼の肩が、びく、と一瞬上がった。けれど観念したようにすぐ頷いてみせるので、私は内心でガッツポーズを決める。やった。プリンのことは正直許してない…というか五条先生に会ったときにしこたま怒るとして。ここで狗巻先輩に埋め合わせをお約束できたのはかなり大きい。デート、をお願いする勇気はない。写真…は割と軽率に撮らせてくれるので狗巻先輩フォルダは充足している。呪言かけて、は即座におかか!を浴びせられるだろうし。どうしようかな。今だから、狗巻先輩にお願いしたいこと…。

 秒針が時計を一周するまでたっぷり悩み抜いてから、私は狗巻先輩に向かって両腕を広げた。

「じゃあ、ハグ!ストレスを殺すらしいので、ハグをお願いします!」

 我ながらなんとも苦しい言い訳である。正直なところストレスを殺したい訳ではなく、推しを五感で感じたいだけだ。狗巻先輩に引かれてしまうのでは?という懸念も一瞬だけ抱いたが、かなり悪ノリを働く現場を目撃しているのできっと大丈夫だろうと結論付けた。狗巻先輩は少し視線を下げたあと、それを私に向け直して、こくんと大きく頷く。

「しゃけ」

 それは肯定の意味を持つ単語だった。私の目の前まで歩いてきた狗巻先輩は、想像していたよりもなんというか、おっきい。そうしてソファに座ったままの私を、狗巻先輩が覆いかぶさるようにして抱きしめてくれた。彼の膝がソファに乗って、その重みの分だけ私の身体が傾く。
 まって、なんか、なんか違う。もっと、女の子同士でハグするみたいにライトな感じで。お互いにぎゅーってして、えへへ!みたいなノリで離れるものを想像していたのに。狗巻先輩の身体はしっかり筋肉質で、肩幅も広くて、腕が長い。すっぽりと抱きすくめられる形になり、彼の体温が全て私に注がれる。耳元に柔らかい髪の先が触れ、首の後ろに呼吸を感じ、彼の鼓動が数枚の衣服越しに直接伝わってくる。大きな掌が私の後頭部を掴んで、綺麗だなあといつも思っていた彼のなめらかな頬が、私の頬に擦り寄せられる。

「つな、つな」

 よし、よし。みたいなことだろうか。リップノイズごとその柔らかな音に鼓膜を震わされ、そこにはなんの呪言もない筈なのに何かの術に掛かってしまったような気持ちになってきた。どうしよう、恥ずかしい。狗巻先輩は可愛らしいマスコットキャラクターなんかじゃない。男の、ひとだった。

 やがて、彼の腕が緩んで私たちの間にほんの少しの距離ができた。至近距離で私を見下ろす紫色の双眸が、熱っぽくうるりと揺れる。

「…明太子」

 そのピリ辛な具材は、遊び半分でハグなんかお願いするな、というお叱りだったのかもしれない。でも頭がぽやぽやになって心臓が身体中を叫びながら駆け巡っている状態の私では上手い返しが思いつかず、熱の上がり切った顔もそのままにその具材のことを反芻することしかできなかった。

「……めんたいこ」
「しゃけ」

 彼から肯定の意。何を肯定されたのかも分からないまま、眼前で狗巻先輩の口許が顕わになる。目にするたびに格好いいなと思っていたその紋様がふわっと私の顔めがけて降りて来たかと思ったら、その唇が私の鼻先にちょんと触れるので遂に限界を迎えた。

「も、…満足ですから…やめて死んじゃう…」
「おーかーか!」

 にこり。否定を示しながら微笑み、狗巻先輩の掌が私の髪を優しく撫でる。今一度私の身体を覆う熱に、その性質の悪さを改めて再認識する羽目になってしまった。そうだ、この人。悪ノリ大好きなんだった。

包んで撫でて、満足いくまで

(体温で死んじゃう、かわいいな…)
2021.01.06