傑にそっくり!と散々笑われていた招き猫のストラップのことが忘れられないまま、朝を迎えてしまった。どこにでもあるようなご当地限定のそれはどこでも見かけるような普遍的な招き猫だったのだけれど、目の角度か、それとも口角の上がり方か。確かに五条の言う通り、夏油に物凄く似ているように見えた。硝子も感心したように「本当だ」と零すし、夏油本人でさえも「初めて会った気がしないな」とか言うぐらいの似方をしていた。

 私も最初は彼らと一緒にそれを笑っていた。本当に似てたし、縁起も良さそうだし、こういう出会いがあるからお土産屋さん巡りはやめられないんだよなあなんて思っていた。やがて夜が深まるにつれ、その日の記憶が徐々に思い出という形に変わっていく中で、あの招き猫のストラップだけが信じられないほど高画質のままで私の脳裏に像を残し続けていることに気が付いた。欲しい。どうしても、あの招き猫が。身近に在りながら世界が違い過ぎて成就できそうもないこの恋を諦める代わりに、あの猫を傍に置きたい。夏油傑の隣を諦める代わりに、あの猫に慰めて貰いたい。

 幸運なことに、今朝は新幹線の時間まで自由行動になっている。私は忘れものがあるから、と適当に言い訳してお土産屋さんへと駆け足で向かう。提灯が下がっている角を曲がって、石段を上がり、古めかしい自動販売機に陳列されたはてなマーク付きの黒い缶を見送りながら歩いて、確か、この並びに。

「あ」

 本日定休。無情にも締め切られたシャッターを視界に留め、私は思わず声を上げていた。ざりっと細かい砂利を踏む音がして、私の背後にぬっと大きな影がそびえる。

の忘れ物はここに?」

 穏やかで、労わりを内包した声。私はこの人のこういうところが好きなのだけど、何もこんな時にまで。振り返り、思った通りに夏油傑のことを見つけてしまえば、私の心臓は瞬間的に縮み上がった。何度見ても、すきだ。

「定休日みたいだけど大丈夫?電話してみようか」

 シャッターに貼られた緊急連絡先を指差し、夏油が自分の携帯電話を迷わずポケットから取り出した。いやまさか、そこに私の忘れ物など存在する筈もなく、あの招き猫を買うためだけに店を開けて貰う訳にもいかない。私は慌てて夏油を止めようと口を開く。しゃらり。ささやかな鈴の音が鳴り、彼の携帯の軌道を追って、猫が笑う。

「あっ」

 その音が漏れたのは本日二度目のことだった。私が丸一晩忘れる事の出来なかった、あの、招き猫のストラップが。なぜか夏油本人の携帯電話にぶら下がり、福を招いている。

「…ああ、これかい?あのあと悟が買ってきてね、つけろってうるさくて…」

 夏油が辟易といった様子でそう言い、眉尻を下げた。男子部屋が騒がしかったのはそういうことか。夜半にけたたましく笑い出した五条に対して、硝子が足で壁をドンッとやったので私もすごく笑ってしまったのだけど。同じお土産屋さんのかりんとう饅頭がひどく気になっている様子だったから、そのついでに買ったのだろうなと予測が付いた。

「つけたら死ぬほど笑ってたけど、多分あの瞬間が最大の盛り上がりだったから。…要る?」
「要る!」

 思いがけない申し出に、思いがけない勢いで飛びついてしまった。そんなに?と言いたげに夏油が目を丸める。私は大急ぎで口を噤み、これ以上の失言をするまいとしながら、持ちうる限りの語彙をガサゴソ漁って言い訳を繕おうと努力する。ど、どう、どう言ったら、怪しまれない?

「そんなに欲しかった?」

 夏油が核心を突いてくる。にこっと目を細めるその表情はまさにこの猫ちゃん同様で、先ほどあんな過敏に反応をしておきながら“実はそんなに欲しくない”等と嘘をのたまえるほど私のメンタルは太くない。欲しかったです、心から。声には出さず、深く頷いた。夏油もまた、私に倣うように頷いた。

「いいよ、あげる」

彼の指先が、早速ストラップをほどき始める。

「欲しがってくれる人の方が、この子も嬉しいだろうからね」

この子、と柔らかな音色で呼んでもらえていいな。ちょっとだけ招き猫のことが妬ましくなってしまいながら、広げた掌の上に乗せてもらうようにしてそれを受け取る。暖かな色合い、冷たくて軽い手触り。陶器製のようだ。にこにこ笑うその猫は、やっぱりどう見ても。

「…本当に、夏油そっくり」
「あんまり言うと邪推するよ」

邪推。よこしまな推察を指す言葉。その言葉そのものを知っていても、それが何を示すのかが分からず、夏油を見上げて首を傾げる。夏油はまたも、私を真似て首を傾げた。

「私に似てるから欲しいのかなって、思っちゃうから」

その通りです。言えたらどんなに楽だろうか。むしろ私からその一言を誘い出そうとしてるのでは。思い違いだったら恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。言えない。わからない。恋心を簸た隠すための駆け引きなんて、学校では習わなかった。

「…なんてね。冗談だよ」

沈黙する私に痺れを切らしたのか、夏油が軽やかに言って視線をシャッターの方へと移した。なんだか恋の端っこを掴み損ねたような気がして、気分が落ち込む。…落ち込むくらいなら、そうだよ!と言ってしまえばよかっただけの話なんだけども。

「忘れもの、回収しないとね」
「あ!っと…あの、それについては…」

夏油はまだ律儀に私の忘れ物を探そうとしてくれている。私の目的のものは完全に想定外の角度から手に入った──本当に今、掌の内側に収まっている。でも、なんて言おう。あたふたと夏油の顔とストラップを見比べる私に、夏油がふはっと吹き出した。

「…ねえ、やっぱり君、私のこと好きだろ」
「あ、うん」

夏油の言った内容を理解するまで、コンマ二秒。焦った私が反射で応えてしまうまでは、コンマ三秒。その返答が私たち双方の耳に届き、その頬を赤く染め、

「「えっ?」」

互いに聞き返してしまうまでは、五秒ほどかかった。

さて10秒後の私たちは

(……まって、もっかい言って)
2021.05.05