デパートの催事場で行われる物産展は一種のアミューズメントパークである、と呪術師界最強の男は大まじめに語った。彼の後輩でありただの補助監督である私は彼の突飛な発言をまじめに受け取ることに疲れ、そうなんですね、と適当に答えた。しかしながらそれを螺旋階段ばりの曲解で『承諾』と受け取ったらしい五条さんが、そういう訳だから明日の十一時に新宿駅東口の交番前ね、なんて去り際に言い捨てて自宅へと帰っていったのが昨夜のこと。キャンセルが利かない謎の予定をせっかくの休みに捻じ込まれてしまい絶望しつつも、一応イケメンの隣を歩いても恥ずかしくない程度におめかしして出てきたのは今朝のこと。そしてそんな私を見た五条さんが、おっ! かわいいね! ちゃんとデートっぽいじゃーん、だとか一言多い褒め言葉をくれたのが三十分前くらいのことで、到着した北海道物産展で早速五条さんとはぐれてしまったのが、たった今の話、である。

 あの男はあんなにもデカくて目立つ色をしているのになぜ見失ったのか、私は最早自分の目が信じられない。しかし周囲を見渡そうと視界を上げても、狭い通路を行き交う人々の濁流やカラフルなのぼり、うまい! ととにかくうまさを強調する看板たちに阻まれ、上手く遠くのほうを視認することができない。こんなとき五条さんのほうが見晴らしがよいだろうから、私を上手く見つけられるだろうに。

「おーい! どこ行くの!」

 そう思った最中、少し遠くから私を呼ぶ声がした。やはり私の予想通り、五条さんの方からは私の姿が容易く発見できたらしい。声のする方を振り返り、見慣れた白色を探す。今日は確か、黒いタートルネックセーターとスキニーに、グレーのチェスターコートを合わせていた筈。ふわふわの白い髪で、屋内でも真っ黒なサングラスを着けた高身長の男――居た。恥ずかしげもなく私に向けて「こっちだよ!」なんてブンブンと手を振るその男は、左手にソフトクリームを装備している。なるほど。身長が百九十センチ以上あり体躯にも恵まれた成人男性二十八歳は、あれを買うために行方不明になったらしい。
 よく目立つ見た目と挙動をしている彼に視線が集まり、それらは自然と私の方へも向けられる。やばい、はずかしい、早くやめさせなくては。私は慌てて人混みを擦り抜けて、五条さんのすぐ隣にまで駆け付けた。五条さんはご機嫌な様子でアイスクリームを一口頬張る。

「ちょっと……買いに行くならそう言って下さいよ……」
「ん、メンゴメンゴー! すぐ戻るつもりだったんだけどね、思ったより種類多くて迷っちゃった」

 語尾に音符マークが付きそうな軽やかさで言い、赤い舌をぺろっと出してさえ見せる。傍目に見ればお茶目で可愛い仕草なのかもしれないが、仕事における重要局面――主に報告書や自治体連携関連を期限ギリギリで私や伊地知さんに投げるとき――にも同じ顔をするので、可愛げを感じることは一切できない。五条さんは上機嫌に笑わせたままの唇で、もう一口ぶんアイスを欠けさせる。

「さっきすごい真剣にルイベ漬け見てたけど買わなくていいの?」
「買いますよ。けど、大きな子供が行方不明になったら先にそっち探すじゃないですか」
「へえ、そんなおっきな子供が迷子になってたんだ。早く見つかるといいね」
「…………」

 怖い話のオチみたいな勢いで『お前だー!!』と言ってしまいたかったが、羞恥心が勝ったので口を噤んだ。何も言わない私の口元に、彼の持つアイスクリームが添えられる。試合を終えた選手へインタビューするかのような所作だった。

も一口どう? おいしいよ、とうきびアイス」
「要らないです……」
「そ? おいしいのに」

 おいしいのに、じゃない。コップやストロー類ならまだ意識せずに口に運べたかもしれないが、五条さんが直接口に運んだアイスクリームを齧る勇気はさすがに無かった。アイスが回収され、彼の口元へと昇っていく。柔らかそうな唇がクリーム状のそれを啄んで、咀嚼する。悔しいことにこの男、見た目ばかりは最高に良い。

「とうきび以外の味もありますよ!」

 唐突に快活な声が掛かり、私と五条さんは揃って振り返った。アイスクリーム屋の店主と思しき丸顔のおじさんが、カウンター越しにニコニコしながらメニュー表をこちらへと向けてくれている。

「とうきびは好き嫌い分かれますからねー。人気なのはこちらの富良野メロンソフトですけど、シンプルな北海道生乳ソフトもおすすめです」
「そうそう! 僕、とうきびとメロンですーんごく迷ったんだよねえ」

 私に向けて掛けられただろう声に五条さんが反応し、悩ましげに腕を組んだ。アイスクリーム屋の店主は大口を開けて笑う。

「あはは! お兄さんかなり悩んでましたよね。それでしたら奥さまがメロン味にして、旦那さまに一口シェアする……なんていかがでしょう?」

 店主さんの手が『奥さま』と言いながら丁寧に私を指し示し、一口シェア、に合わせて五条さんへとスライドした。私が、奥さま。五条さんが、旦那さま。……私、五条さんの奥さんだと思われてる……!?
 恥ずかしいを通り越した名付けがたい感情で、頬から耳に掛けてがカッと熱くなった。咄嗟に『違います』の“ち”を言おうとしたら、五条さんの「ッフ……」という噛み殺した笑い声が降ってくるので、彼を叱るつもりでそちらを見上げる。
 わざとらしくずらしたサングラスの上から、真っ青な瞳が愉快そうに私を見下ろしていた。

「いかがなの、奥さん?」

 だれが、あなたの、奥さんか! ここが高専ならば声高らかに怒るところだが、ここは都内一等地にある有名デパートである。喉の奥にきゅっと力を込めつつ「違いますでしょ」なんて動揺でめちゃくちゃになった否定をもごもごと溢すことしかできない。店主さんがそれを聞き、驚いたように口元へと手を添えた。

「あれっ! 仲がよろしそうだったのでご夫婦かと……。それは失礼を……」
「いえいえ、時間の問題なので大丈夫ですよ。それよりメロンもくださーい」

 財布を取り出す五条さんに、パッと嬉しそうな顔になって「かしこまりましたー!」と答える店主さん。なんだか普通に流されそうになっているが、ちょっとまってほしい。いま聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。

「ちょっと僕のアイス持ってて」
「えっ……いや、あの……」
「あ、生乳のほうが良かった?」

 差し出されたアイスを律儀に受け取ってしまいながら、首を横に振る。アイス、食べるならメロンがいいなと思っ……じゃない! そこのことではなくて!

「あの……あんまり適当なこと言わないでください、五条家の跡継ぎ生む女だと思われたらどうするんですか」
「僕んちのこと知ってるヤツがこんなとこに居るワケないでしょ」
「そういう問題じゃなくて……」
「僕ら、傍から見たら良い夫婦なんだよ」

 そんなことを言いながら五条さんが、にっ、と歯を見せて笑うので、反論のために用意していた言葉は消し飛んでしまった。店主さんが店の奥から鮮やかなオレンジ色のソフトクリームを携えて戻ってくる。私はそれを空いている方の手で受け取り、目の前で行われる金銭の授受を黙って見守った。……傍から見たら、良い夫婦。確かに、仲がよろしそうだったので、とか言ってたけれども。

「ありがとうございましたー!」

 明々朗々とした店主さんの声で我に返り、彼の方へと向けて軽く会釈をする。結局あの人にはカップルだと思われたままだろうけれど、五条さんにおいしいアイスを奢ってもらえる流れになったので、これで帳消しということにして早く先程のやりとりを忘れてしまいたい。財布を仕舞った五条さんに、とうきびアイスのほうを差し出す。

「五条さん。さっきのはともかく、アイスご馳走様です」
「んー」

 五条さんの手が、とうきびアイスのコーンごと私の左手を包んだ。ふわっと良い匂いがして、五条さんの白い髪が目線の高さにまで下りてくる。私の目の前で白い睫毛がそうっと伏して、桃色の唇が薄く開いて。オレンジ色をしたアイスクリームのてっぺんを、ぱくりとやった。意地悪な色を湛えた瞳が、その距離を保ったままで私の目を覗き込む。

「僕もご馳走さま」
「っ、……!?」

 キスを思わせる近さに驚いて後ずさりしようにも、逆に左手を引き寄せられて「後ろに人いる、危ないよ」なんて腰を抱かれてしまう始末だった。しかも私の真っ赤な顔には全く触れず、溶けかけのとうきびアイスを私の手から攫ってパクパク食べ始めたりしている。
 なんだ。なんなんだ、このひとは。今まで散々この人のワンマンには付き合わされてきたが、こんなに心まで振り回されるのは初めてだ。一口ぶんだけ欠けたオレンジ色のアイスへと視線を下ろす。なんだかよく分からないけれど、これに唇をつけたら“最後”な気がする。

「ねえ、早く食べちゃいなよ。溶けるよ?」

 私の心境を知ってか知らずか、五条さんは悪戯にそんなことを言う。でも、折角奢ってもらったアイスクリームを溶かして駄目にしてしまう訳にもいかない。私は恐る恐る、オレンジ色に唇をつけた。じんわり。冷たくて、甘酸っぱい。

「いいね。デートっぽくなってきた」

 五条さんの突飛な発言をまじめに受け取るのはやめようと思っていたのに、その言い方があまりにも楽しそうだったから。私は思わず笑ってしまい、それを誤魔化すようにアイスを齧った。

溶けちゃう前に召し上がれ

(だってその反応はさ、ナシじゃないでしょ?)
2021.11.23