この服を買ったとき、とてもシンプルに“爽やかで可愛いな”と思ったことを覚えている。オーバーサイズめで水色の、七分袖のシャツ。中には白いTシャツを選ぶ。ボトムは、まあ適当に、黒のスカートでいっか。適当にインすれば少しはスタイルが良く見えそうだ。デート時のファッションなんて幾ら悩んでもキリがない。時には妥協も必要だろう。あんまり気合が入りすぎているように見えるのも癪だし、とは思いつつもお化粧と髪型にはバッチリ気合を入れ、私は家を出た。待ち合わせまであと一時間。……あれ。ちょっと早く出て来すぎたかもしれない。

 いつも絶妙な遅刻をすることに定評のある“あの人”に限って、まさか時間通りに来るはずもあるまい。私は余裕たっぷりに、いつもよりもゆっくり歩いて待ち合わせ場所に向かった。新宿駅の東口。交番前。休日ならば行き交う人でごちゃごちゃとしているこの場所も、平日の午前中ともなれば幾分かマシだ。マシだったせいで、私はその姿を遠目からでも発見することができてしまった。

 透明感のある午前中の陽射しをきらきら跳ね返す銀糸の髪。海外モデルと見紛うような恵まれた身長、そしてスタイル。トレードマークの真っ黒なサングラス。そこまでは良い。それは、見慣れた五条悟の姿だった。

 問題はそこからだ。少し大きめの水色のシャツの内側には白いTシャツ。そしてボトムは、黒いズボン。悟が私を見つけ、サングラスを少しだけずらして私を視認する。それからすぐに、あ、と口を開いた。私もまた、あ、と口を開けた。やばい。服装が。正しくは服装の色合いが、これ以上ないくらい、被っている!

「ウッワ! 狙った!?」
「狙える訳ないじゃん……!」

 悟が声を張るので恥ずかしくなり、小走りで彼の元へと向かう。ガードレールに腰を落ち着けている悟はいつもよりも私と視線が近い。だから彼が、青くて綺麗な目でしげしげと私の格好を眺め回す様子がとてもよく観察できてしまった。ばさばさ。鳥が羽ばたくみたいに白い睫毛が上下する。

「ウケんね、完全一致じゃん。中に着てんの白? あ、見て。スニーカーの色までピッタシ一緒」

 ずり、と差し出された悟の大きな片足は黒くてツヤのある生地でできたスニーカーを履いている。そして私もまた、彼が履いているようなブランドとは比べ物にならないほど安物だけれど、似たようなツヤ感の黒いスニーカーを履いて来てしまっていた。彼の靴の横に、無意味に自分の足を並べてみる。

「……いや、でっか……」
「そこじゃねーっての。お揃いじゃんって話だろ」

 足元に気を取られていたら後頭部にチョップが落ちてきた。大して痛くは無いけれど、一応様式美的に頭を押さえて顔を上げる。そこでニコニコ笑う五条悟の、なんと愉しそうなことか。ただでさえこの顔面偏差値百億の男の隣を歩くということに怯えているというのに、よりにもよって。

「いいね、ペアルック!」
「ペ、……最近はリンクコーデって言うんだよ」

 思うことまで同じとは。人差し指を立てて今日一番の笑顔を浮かべた悟が、私の言葉に片眉を上げる。あれ、もしかして知らない単語だった? 「おじさんだね」と揶揄ってみたら「僕だってそれくらい知ってるよティックトック入れてるし」とスマホを指差して張り合ってきた。どこの土俵で争ってるのかよく分からなくなって、私は思わず笑ってしまう。悟も気が済んだようで、スマホを仕舞いつつガードレールから腰を持ち上げた。何度見てもこの人は大きいな。周囲からチラチラと視線を向けられているのがとてもよくわかる。……今日一日、この視線に晒され続けるんですか。

「……悟。ZARAはどこ?」
「お? シン・ゴジラの石原さとみごっこ? じゃあ僕マフィア梶田やる?」

 違う。有名なセリフだけど石原さとみごっこがしたかった訳じゃないしお喋りな悟にマフィア梶田の真似は無理だと思う。ツッコミは一旦全部置いといて、私は自分のシャツの胸元を軽く引っ張った。悟の視線がそこへと降りてくる。

「リンクコーデ解除したい」
「えー! いいじゃん、似合ってるよソレ」

 急激に褒められてしまい心臓がキュッと鳴った。ほんとにそういうところだぞ! とは心の中でだけ叫びつつ、なんて言い訳して着替えを買いに行こうかと僅かばかり思考したその隙に、悟は何かを思いついた顔で自身のズボンの後ろポケットをごそごそと漁り始めた。

「ちょっと待って。そんなには……」

 同じ感じで飴玉を差し出され、絆されてしまったときのことを思い出す。その手には乗らない。絶対に乗らないぞ。私は恥ずかしいんだ。なんとしてでもお着換えチャンスを手に入れたい。何が来ても突っ返す。強い心持ちで彼の手の動きを視線で追っていたら、それがポケットからスッと出てきて、私の目の前に――親指と人差し指を交差した、いわゆる指ハートを突き付けた。

「キュンです!」

 キュンです……、キュンです……、キュンです……。ノリノリで発言された流行りのそれは、私の頭の中でエコーを帯びて繰り返された。五条悟。きみ。今年で何歳になるんでしたっけ。

「あれ、もしかして知らない? ポケットからキュン」
「いや、知ってる……知ってるけど……まさか悟のポケットからキュンが出ると思わないじゃん……」
「普段は在庫ないよ。今日は入荷してたの。ラッキーだったねお客さん」

 指ハートをしていた手がするんと下りて、ごく自然に私の手を取り、引っ張った。私はちょっとだけつんのめって、でもすぐに悟の隣を歩き始める。ずるいな。今日もあっという間に悟のペースに乗せられてしまった。

 あーだこーだとどうでもいい話をして、これから向かうお店のパフェの話を始めたとき、悟が急に私をつんつんと突いて通り沿いのショーウィンドウを指差した。指の動きにつられてそちらを見遣れば、お洒落にディスプレイされたハイエンドブランド――の手前のガラスに映り込む、忙しなく行き交う人々と私達の姿があった。トップスからボトムスまでぴったり色のあった二人が、手を繋いで街を歩いている。

「……ね。悪くないでしょ」

 悟はわざわざ身を屈め、私の耳元でそう言った。確かに、誰がどこからどう見てもこの人が自分の恋人だと分かるようで、ちょっと、悪くないかも知れない。さすがにサングラスまで買い与えられてしまったのは、やりすぎだと思うけれど。

思い上がりも大事さ

(オマエのポケットからは出ないの?キュン)
2021.08.08