「ハァ?それ僕に頼むことなの?」
「五条さんにしか頼めないことです…」

 予約戦争に勝利してご用意した、ハイエンドホテルの季節限定アフタヌーンティー。こんなの五条さんは食べ飽きてるだろうなとは思いつつも声を掛けたら思っていた以上にウッキウキで行く!と言って頂いて、そして当日となった今日も異様なほどのハイテンションで五条さんは現れた。これだけ上機嫌なら、きっといける。賄賂がすべて彼の胃の中に納まったことを確認し、私は覚悟を決めて本題に移った。夏油傑さんと、接点が欲しい。

「そういうのはさあ、僕の手なんか借りずに自分で努力すべきだと思うよ」

 ふかふかのソファに身体を沈めるようにして、五条さんがふんぞり返る。さっきまでの女子高生かと思うようなテンションが一変、低い声で諭すように言うその姿は高専で目にする五条悟そのものだった。

「傑なら高専歩いてりゃいつでも捕まるでしょ」
「そんなポケモンみたいに…」

 窓ガラス越しの青い空が、五条さんのサングラスに映り込む。私はその青空に、いつか夏油傑さんを初めて目にした瞬間を重ねる。風に遊ぶ黒い髪。広い肩幅、男のひとらしい体つき。振り返る横顔はその三白眼も相まって一瞬怖いひとにしか見えなかったけれど、彼はすぐにそれを柔和な笑顔に変えて、私に向かって言葉を優しく紡いだ。君が今日配属の新人さんだね、歓迎するよ。見た目や存在感から得る情報と、彼自身が作り出す柔らかな雰囲気とのギャップに、私は無事に恋をした。

 しかしながら私がどれだけ彼に近づこうと試みても、親密度バロメーターが上がっていくのは何故か彼と旧知の仲で親友だというこの真白い男のほうだった。

「それとも何?傑に近づくために僕を利用した?そんな悪女だったの君?いやあ人は見た目によらないねー、すっかり術中だよ僕」
「私にレスポンスをさせてください」

 五条さんが身を起こし、役目を遂げた砂時計を摘まみ上げるとローテーブルの端へ追いやる。それからその大きな手がティーポットを手にして琥珀色の紅茶をティーカップへと注ぐ様を、私は慎重に言葉を選びながら見守った。五条悟という一見適当なこの男は、こういった所作が美しい。育ちの良さがどうして性格には及ばなかったのだろうと、残念に思わずにいられない。

「…決して、五条さんを利用したい訳じゃないです。でも、東京に配属されてから二年も経つのに夏油さんとの接点があまりにも無くて…」
「僕とはこんなに仲良しなのにね」
「仲良しかって言われると分かんないですけど」

 私の見ている前で、紅茶をひとくち。音も立てずに呑み込んで、カップをソーサーへと静かに戻す。前かがみになったその姿勢から、上目遣いに青い瞳孔が私を捉えた。サングラスの隙間から覗く白い睫毛がふわりとまばたいて、その口元にはくっきりとした笑みが浮く。

「分かんない?傷ついちゃうなあ」

 傷ついている人が浮かべる表情ではない。どちらかというと舌なめずりをする獣である。どう見ても私に夏油さんを紹介してくれそうには見えないその様子に、私はため息を吐きながらソファの背もたれへと全体重を預けた。上等なソファは柔らかすぎず、硬すぎず。私のことを程好く包み込んでくれている。この場に於いて私に優しくしてくれるのは、このソファだけのようだった。

「いいよ。傑とごはん行く機会、作ってあげても」

 えっ、と思うよりも早く身体が反応して、私は気が付けば身を乗り出していた。今の今までゴネていた癖に、今のいいよは随分とあっさりしたものだった。この人の気分は山の天気か何かなのか。だとしたらまた曇天になってしまう前に言質を確保してしまおうと、私はスマホを取り出す。そんな私の目の前に、スッと人差し指が突き付けられる。

「ただーし!条件がひとつ」

 視界のピントを指先から五条さん自身へと移して、私は深く頷いた。高級スイーツを貢ぎ続けるでも、季節ごとにアフタヌーンティーの予約を必ず押さえるでも、経費報告書及び公的機関損傷報告書を肩代わりする――のは少し嫌だけど、あの夏油さんとごはんを食べることが出来るならどんな試練だって乗り越えられる。否、乗り越えてみせる。気合十分な私を、五条さんがハッと鼻で笑った。この時点ですでに、嫌な予感はしていた。

「その日から三日以内に傑と恋人関係になれなかったら、その瞬間からは僕の彼女になります。どう?」

 …………どう?

「……気が狂っていると思います」
「率直だねえ」

 模範解答が分からなかったので率直に答えざるを得なかった。いや、そんなまさか。今しがた聞き取った条件を、私が解釈間違いしただけかもしれない。整理しよう。
 其の一。五条さんは私と夏油さんが食事する機会を作ってくれる。其の二。私はその機会を貰う代わりに、三日以内に夏油さんと恋人にならなければならない。其の三。それが達成できなかった場合、正確には夏油さんと食事をしてから四日後に私が独り身であった場合、速やか且つ自動的に私は五条さんの恋人となる。おかしい。やっぱり二と三がおかしい。

「い、いやいや、そんな危ない橋渡る訳ないじゃないですか!色んなことが破綻して、」
「そもそも、傑に勇気を出して話しかけてみるってだけの橋も渡れなかった癖に何言ってるの。僕という橋の方が丈夫で落ちないと踏んでコッチを選んだんでしょ?その橋がどんな橋かも知らずにね」

 その淀みない口ぶりから察するに、あの条件は提案ではなく決定事項のようだった。それ五条さんにメリットなくないですか、とは思えども声に出来ない。幾ら夏油さんに遭遇できる機会が少なかったとしても私があの人になんのアプローチも出来なかったのは本当のことであるし、ほかの術師よりも五条悟とほんの少し仲が良くなったからと自身の立場を驕って彼を頼ったのも本当のことだ。五条さん自身にメリットがあろうか無かろうが、私には関係ない。私には、その条件を分かりましたと?むほかの道がない。

「愚かだね。最高に可愛いよ」

 カップへとミルクディッパーを傾け、五条さんが囁くように言った。紅茶の底で白い塊がむわりと盛り上がり、琥珀色は見る影もなく侵略されていった。

 * * * * *

「へえ、どういう風の吹き回しかな。私に散々牽制をかけておいて、今ごろ食事のセッティングなんて」

 やっぱ根に持たれてたか。僕は想定の内側だったその小さな棘にへらへらと笑って、お店の予約を終えたスマホを上着のポケットに滑り込ませた。約束を守ってもらうためには、まずは僕が約束を守らなくちゃね。僕が贔屓にしている中目黒の水炊き屋さんだから、味も接客もお墨付きだ。

「そろそろ傑にも紹介しとこうと思っただけだよ、僕の彼女をね」
「まだ交際してないだろ」

 適切なツッコミに、あははと笑い声を漏らす。「それに」傑が言い添え、鞄を背負い直した。行きのときよりも膨らんだその中には、きっと遠征のお土産がぎっしりと詰まっている。

「多分だけれど彼女、私のことが好きじゃないかな?」
「さあね」

 含み笑いで僕を見遣る傑に、それとそっくりの笑みを返してやる。だから牽制したんだよ。オマエもちょっとあの子に興味あっただろ。傑がふっと溜息に似た、呆れを孕んだ笑い方をする。

「厭な男だな」
「箔がついたよ、ありがとう」

 僕の皮肉を「どういたしまして」の一言で呑んで、傑は報告書の作成があるからと足早に教職員棟へと消えていった。さて、あの子が手に入るまであと五日。これまでの二年間を思えば一瞬だろう。絶望するあの子を、まずどこに連れて行こうかな。大丈夫。二週間もすればきっと、彼女は心ごと僕のものになっている。

余命五日の導火線

(気付かない君が悪いんだよ)
2021.04.13