手に入れたスマートフォンで最初に連絡を取ったのは、デクだった。相手は多忙なヒーロー見習い。出なきゃ出ないで仕方ねえかと思っていたのに、デクはコール音がみっつもしないうちに電話に出たし、空港で見送った時と変わらない声で「ロディ!!」と俺の名前を呼んだ。俺は携帯を耳から遠ざけて「うるせえ!!」なんてついつい怒鳴ってしまったが、ピノが俺の膝の上でダンスを踊って喜ぶのでちょっと笑ってしまった。そうだ。電話越しならデクには俺の顔もピノのことも見えない。それなら逆に取り繕う必要もない。いからせた肩をすとんと落として、ついでに表情筋からも力を抜いて、言う。「元気そうだなヒーロー」。窓に映る俺と、俺の肩に乗ったピノは、そっくり同じ顔をしていた。

 「さんにはもう連絡したの?」とはお節介なデクらしい言葉だった。「あー……いや、まだだ」俺はなぜこんな時ばかり上手く嘘を吐けないのか。心のどこかで、早くにも連絡を、と思い続けてたせいかもしれない。でも、俺は彼女の連絡先を知らなかった。
 はデクたちと一緒にオセオンに来ていた、日本のヒーロー……ではなく、それをサポートする関連技術者の見習いだとか言っていた。つまり、彼女はプロになっても表舞台に出ない。どんなに日本のヒーローニュースをチェックしても、の姿を見ることは一度もなかった。
 日に日に薄れていくの面影を思い出す度に、を見送った最後の日を。その瞬間を繰り返し後悔する。は「じゃあね」と言った。俺も「元気でな」と言った。それだけ。それだけだった。また会う約束も、連絡先も、またね、とすら言えなかったし、言ってもらえなかった。当然だ。オセオンと日本は遠い。それに、レンアイのそれは友情のそれとは違う。だから俺たちは疎遠になるくらいならと、その場で関係を築き上げることを諦めた。
 諦めるくらい、多分、俺たちは互いを好きになっていた。

 なのにお節介なヒーローは「さんなら今は……ええっと、インターン先教えてもしょうがないか……携帯の番号教えるよ」だとか言いやがる。オイオイ。俺の意思は無視か。そう言いかけて、やめる。さっき「まだだ」って言ったのは俺の方だった。
 俺の手は思っていた以上の従順さでデクの読み上げる数字をメモにとり、俺の声帯は思っていた以上の素直さで「ありがとな」と言っていた。デクが笑う。「時差だけちょっとアレだけど、早く声が聴けるといいね」「……おう」俺の返答にワア! と盛り上がりかけたデクに、慌てて別の話題を振る。まずは、デク自身のことを訊きたい。俺はそもそも、デクと喋りたくて電話を掛けたんだった。

* * * * *

 電話番号は、登録した。でも発信ボタンは一度も押せないまま、三日が経過しようとしていた。
 気が付けば時計の針は深夜一時を回るところで、俺は音を立てないようにしながら参考書を閉じ、伸びをした。背筋がパキパキ鳴る。後ろからは二人分の穏やかな寝息が聞こえる。日本は今、朝の八時くらいか。すっかり癖になってしまった時差計算をしつつ、トレーラーハウスを出た。このあたりに吹く真夜中の風は、運河が近いせいもあって、すごく冷たい。俺の服の中に無遠慮に入ってきたピノが、寒さで震えているのが分かった。

 暗闇の中で煌々とするの電話番号を、何の気なしに夜空に掲げた。今日は快晴だから星がよく見える。そういえばは、オセオンの星空に大げさなぐらい感動してたっけか。こんなに星があるなら星座なんて作り放題だとか、おおよそヒーローをサポートするプロになろうってヤツとは思えないような、幼稚なことを言っていた。だから俺たちは病院の屋上で適当に星座を作りまくった。カンカンになった看護婦さんに呼び戻されるまで、星を繋いで“デク座”とか“ピノ座”とか。“ひこうき座”も作ったし“リボン座”もあった。
 スマートフォンを下げて、星々の中にあの日作った星座を探す。季節が変わったせいかもしれない。病院とは見上げる地点が違うからかもしれない。でも事実、俺には“デク座”も“ピノ座”も“ひこうき座”も見つけられなかった。

 俺の親指が、発信の表示をタップする。

 ワンコール。思い付きでやっちまった、悪い、出ないでくれ。ツーコール。朝早くの見知らぬ着信通知を、アンタはどう思うだろうか。スリーコール。なあ、やっぱり出てくれないかな。もう一回掛けるのに、半年くらい掛かっちまうかもしれないから。
 次のコールまでの沈黙が、プツ、と小さな電子音で途切れた。空気の流れる、ざらざらという音がする。

「もしもし?」

 ああ、まずい、の声だ。いやなんもまずいってことはねーんだけど。やっぱりまずいか。俺、なに言うかなんも考えてなかった。ああ、えっと。口をもごもごさせていたら、ピノが俺の服からひょこりと顔を覗かせた。

「ピィ……ピッ……ピピィ……!」

 絶え絶えになりながらも切なげに声を上げる鳥を、俺は親指で服の中に押し込んだ。やめろ! やめてくれピノ! 会いたいも寂しかったも、絶対に電話して一言目に言うことじゃねーんだよ!
 ピノを黙らせようと試行錯誤していたら、電話の向こう側で息を呑む音がした。

「……ロディと、ピノ?」
「ピピィ!!」

 ピノが、大正解! とばかりに叫んで俺の服から飛び出した。思わず「あーあ」と声を漏らしてしまってから、そういえば俺自身がまだ一言も喋ってないことを思い出した。

「そうだよ。……デクに連絡先聞いた。朝早くに悪いね、
「ううん! 何時でも大丈夫……っていうか今オセオン、午前二時くらいじゃない? そっちこそ大丈夫なの?」
「こっちは大丈夫。弟たちは寝かしつけたし、俺もひと段落したところ」
「ひと段落? 勉強とか?」

 会話が、ぽんぽんと弾んでいく。あまりに穏やかで、自然で、これまでの緊張はなんだったんだってくらい、俺たちの会話はあの日の延長線上にあった。彼女の声もデクと同じで、あの日と何も変わらない。唯一、変わったとすれば。これは、俺の心持ちの問題だけど。

「あ、ごめん。そろそろ行かなきゃ、出勤なんだ」
「インターンで遅刻はヤバすぎるって。気を付けて行って来いよ。……ああ、あと」

 深く、息を吸った。俺の腕に止まったピノが、目を潤ませて俺を見上げている。

「……話せて、よかった。また……あー……電話しても?」

 しまった、言い淀んだ。カッコ悪い。

「えっ! いいよ! もちろんだよ! いつでも大丈夫……あ、さすがに仕事中は駄目だけど……それ以外なら!」

 けれどの嬉しそうな声に、俺とピノは揃って目を見開いてしまった。口角が自然と上がる。ピノもにこにこしている。腕時計もないのに左腕を確認して、自分の浮かれっぷりにびっくりして、ちょっと笑った。彼女も向こうで笑う。なんだよそれ。俺のこと見えてんの? ずるい、俺にもそっち見せろ。

「じゃあ、明日……そっちだと今夜か? また連絡する」

 ははっきりと「うん、まってる」と答える。俺達は「またね」「じゃあ、また」と言い合って、通話を切った。そんな俺の周りを、ピンク色の小鳥がビュンビュンと飛び回る。

 役目を終えたスマートフォンをポケットに仕舞いこみ、星空をもう一度仰いだ。今ならあの日作ったでたらめな星座を、ひとつくらい見つけられる気がする。

君とむすんでほしいから

(かみさま、どうか、どうか)
2021.11.04
inspiration by
orion / 米津玄師