からんからん。ドアベルを軽やかに鳴らして、私の待ちわびたその人は少々疲れた面持ちで現れた。開店前のスタンリークス・バーには彼が愛想を振りまくような相手はいない。そもそも愛想を振りまくようなタイプでもないが、そのあまりにも“素”すぎる姿に私は思わず笑い声をこぼしてしまった。彼が驚いた様子で伏していた視線を上げる。ダークグレーの瞳孔が私を見つけて、きゅっと縮まる。

「ロディ、」
「ピピィー!!」

 彼の名前を呼んだ瞬間、すごい勢いでホイッスルを吹かれたのかと思った。けれどピンク色の弾丸と化したピノが一目散に私の元へと飛んできて、私の首筋と髪の間にスポッ! とハマるものだから、あれはピノの上げた鳴き声だったのだとすぐさま理解した。首のすぐ横に小さな熱源がぴったりと張り付いて、その翼で私の頬にひしりと抱き着いている。

「ピィ……ピ……ピィ……」
「あはは! ピノ、くすぐったい!」

 小刻みに羽毛で擦られる感触があるのは、その小鳥が私に頬ずりをしているせいだろう。切なげな声を上げる小さな熱へと右掌を当てて、軽く包むように撫でる。なぜか、なんとなく、会いたかったと言われているような気がしてならない。

「私も会いたかったよ」

 だからそう応えた。そうしたらそれまで呆然と事の成り行きを見ていたロディが、慌てた様子で私のところまで駆け寄ってきた。カウンターの向こう側でスタンリークさんが「走んな」と唸り声を発する。それをまるっと無視して、ロディは私の首筋を覗き込んだ。

「おいコラ! ピノ! 離れろ!」
「ピーィ!」

 ピノがイヤイヤと首を振るのが分かった。私はロディの頬がじりじりと赤くなっていくさまを見つめながら、その前に言うことがあるんじゃないかな、とちょっぴり拗ねたい気持ちになってきた。いつぶりに会うと思ってるんですか、私たち。大変な事件に巻き込まれたうえに入院までしたって聞いて、慌てて駆け付けたっていうのに。

「その前に! 久しぶり、くらい言ってくれても良くない?」

 テーブルの上からグラスを手に取り、ロディの頬へと軽くぶつけるようにくっつけた。やっとロディが私を見て、もう一度ピノを見たあと、諦めたように身体を起こす。……ちょっと、身長伸びた?

「そうだな。久しぶり、。元気してたかい?」
「手紙のテンプレートみたい」
「んじゃ、いらっしゃいませ、か?」

 私の隣に腰掛けてカウンターに頬杖を突き、ニィと意地悪な形に口角を上げる。ああ言えばこう言う皮肉っぽいところは相変わらずだけれど、その仕草がなんともサマになっている。数年会わないだけで、男の子とはこうも大人っぽくなってしまうものなのか。

「……運び屋、やめたんだってね」
「ああ。その話か」

 自分ばかりがロディを意識してしまうのも悔しくて私は適当な話題を振った。首筋のピノは私にぴったり身を寄せたまま、じっとしている。何から話すべきか、と空中へ視線を放り投げたロディの横顔がちっとも憂鬱そうではなかったから、心の内に準備していた“言いたくなければいいよ”という一言は薄まったコーラと一緒に呑み込んだ。スタンリークさんが、ぶっきらぼうな手つきでカウンターに水の入ったコップを置く。

「俺は買い出しに行く。店は頼んだぞ、ロディ。何も盗むなよ」
「盗んだことなんて一回も……ってか俺には水かよ!」

 不満げなロディに歯を見せて笑い、私には「ゆっくりしてけよ」と優しく言って、スタンリークさんは裏口から本当に出て行ってしまった。バタン。ドアが閉まって、五秒間の沈黙。

「あのさ、この前の無差別テロ、覚えてるか?」

 ロディのこの声音に嘘がないことを知っている。いつか同じ声音で私に「もう俺には会わない方がいい」と言った日のことを思い出しながら、私は小さく相槌を打った。

 * * * * *

 話の内容は到底すぐに呑み込めるようなものではなかった。運び屋の仕事で荷物を取り違え、指名手配に巻き込まれたと思ったらテロにも巻き込まれて、それをヒーローたちと阻止した。まるで映画だ。コミックだ。しかし私も実際にイズク・ミドリヤの指名手配報道は目にしているし、ヒューマライズの指導者逮捕と解体のニュースも知っている。その裏側にあったというロディの冒険譚は、そのどれもと辻褄がピタリと合っていた。

「……まあ、信じらんねーと思うけどさ」

 語り終えたロディがコップを手に取り、水を一気に煽った。するとそれまでじっとしていたピノが私の目の前に降りてきて、カウンターの上からおずおずと私の表情を伺う。私はロディそっくりのピンク色のトサカを指先で撫でつけつつ、率直な感想を言うことにした。

「ロディ、超かっこいいね……」
「は!?」

 ロディとピノが同時に背筋をびくっとさせた。

「どこがって言われると全体的だから説明に困るんだけど、その局面で飛行機の操縦をしようって決断できるのとかさ、命がけじゃん本当に! すごい! すごいよロディ! 世界を救ってくれてありがとう!」

 喋りながら興奮がだんだんと追いついて来て、最終的にはヒーローに握手を求めるみたいにロディの右手を勝手に取って握り締めていた。ロディはすごい。しかもスタンリークさんの話によれば、今はここで真っ当に働きながらパイロットの勉強もしているらしい。本当にすごい。どこまでもかっこいい。

「疑わねえの? ……ほら、誇張とか。作り話とか……」

 私の熱量に呆気にとられながらもそんな寝惚けたことを言うので、私は首を横にぶんぶんと振った。

「フィクションにお父さんの話、混ぜ込んだりしないでしょ」
「……それもそーだ」

 ヒューマライズ信者になって失踪したと思われていたエディ・ソウルは、実は家族を人質に取られて無理やり研究に参加させられていた。ほかの犠牲となった研究者たちの名前と共に報道されたそれならば、私も耳にしている。実は私が、今ならロディに会いに行けると思ったのもこの報道がきっかけなのだけれど――彼が私まで孤立させまいと私を遠ざけたことを知っているから――そこまで言う必要はきっとないだろう。急に会いに来た私を見て、ロディは嫌な顔をしなかった。それが多分、私たちのこれからの関係値のすべてだ。
 ロディの手を開放してコーラの消え失せたグラスに右手を添えたら、ピノがとんとんと跳ねてきて私の手首にくっついた。私の体温が心地良いのか、体重を預けながら目を閉じている。ピノはさっきから全身を使って再会を喜んでくれているなあ。とても可愛い。そうだ、可愛いと言えば。

「ねえ、ロディの家に遊びに行きたい」
「急になんだよ」
「ロロとララに会いたい」

 話のなかでロケットに挟み込まれた二人の写真を見ることはできたけれど、やっぱり成長した二人にまた会いたいし色んな話がしたい。私も、留学で見た色んな景色の話がしたいし、もっとたくさん今のロディ……だけじゃなくて、会えなかった間のロディのことも知りたい。

「あー……まあ、そういうことならいいけど」

 ロディの口調は素っ気ない。でも私の手元でピンク色の小鳥がぴょんぴょん跳ね回って喜ぶので、少なくともピノには歓迎されている。がちゃん。ドアの開く音がして、スタンリークさんが「手伝え!」とドアの隙間の夕焼けから叫んだ。瓶の擦れ合う音がする。ロディはすぐにカウンターチェアから下り、ピノを呼ぼうと口を開いてこちらを向いた。ピノは、私の手首にしっかりと抱き着いている。

「……離れたくないってさ」

 ピノの心を代弁してあげたら、なぜかロディの顔が真っ赤になってしまった。ピノがうんうんと何度も頷く。ロディは眉を顰めて歯を噛みしめたあと、誤魔化すように顔をそっぽへ向けて裏口の外へと走っていた。スタンリークさんの笑い声がする。

「なんだ? おい、お前。ついに告ったのか」
「告ッ……!? そういうんじゃねえって!」

 ついにってなに。耳に入ったワードだけで容易く体温が五度くらい上がった。な、なんか、あついな。氷水だけでも啜ろうとグラスを持ち上げたら、もじもじするピノが目に入った。照れた様子で目を潤ませ、私のことを見上げている。私はついつい恥ずかしくなって、掌で小鳥の視界を覆った。

氷が融けたら春になる

(春になると花が咲く)
2021.11.04