クリスマス当日だと言うのにヴィラン犯罪は後を絶たない。痴漢や暴行、強盗といった今日でなくてもよくないかと言いたくなるようなものから、カップルを狙った陰湿なものや指輪を受け取って貰えなかった等という身勝手な動機を叫ぶものまで。思わず苦笑いをしてしまいたくなるくらい『今日』はいつも通りで、そして例年通りだった。は慣れた所作で移送済みヴィランに関する書類に任印を押していくが、どんどん追加が来るせいでなかなか書類の山が崩せない。時計の針をちらりと確認すれば、短針は既に六時を通り越している。少し遅くなるかもしれない。は携帯電話を取り出しかけて、ふと、その動作をやめた。

さん、今年もデートじゃないんスか?」

 付き合いの長い後輩ヒーローが、のデスクに積まれた書類を見下ろして尋ねる。はそれになんと答えるべきか「ええっと」だなんて曖昧な声を漏らしたが、後輩ヒーローが合点する方が早かった。彼の目元が、にんまりと笑う。

「そっか、結婚しましたもんね。今年は外じゃなくておうちデートですか」

 つまるところ、そうだった。結婚に際して居住を共に――交際期間も頻繁に行き来していたのであまり実感はないが――したため、家に帰れば必然的に恋人に会うことができる。例年のように、互いに必死に空けた数時間でクリスマスデートを済ませるような、忙しない動き方をしなくても良いのだった。
 しかしながらそれを他人に言われるのは気恥ずかしい。は髪を耳に掛け、睨むように後輩を見上げる。

「うるさいな。そっちの仕事は終わったの?」
「えー! 毎年さんのデートのためにって仕事引き受けてたの俺ッスよ? 冷やかしたかったんじゃなくて、今年もつい心配しちゃっただけですってば」

 その対価として爆豪勝己のサインをせびってきたのもアンタだけどね。彼のデスクに飾られた大爆殺神ダイナマイトの色紙に視線を向けつつも、は素直に「ありがとね」とお礼を述べた。後輩はエヘヘだなんて年甲斐のない笑い方をする。

「あのダイナマイトの奥さんをサポートできるなんて最高ですよ」
「……あんまおっきい声で言わないで」
「えっ、なんで? 会見もしましたよね?」

 単純に、照れるから。素直に言ったところで彼を喜ばせてしまうだけなのは目に見えている。は犬でも追い払うようにシッシと手を振ると、眼前の書類に目を落とした。爆豪から『早めに帰れる』という短い連絡が来るのは、その直後のことだった。

* * * * *

 が自宅玄関に鍵を差し込むことができたのは、爆豪の帰宅連絡から実に一時間半も後のこと。やっと見慣れてきたその扉を開けば、部屋の中からはまだ新築の香りが漂ってくる。玄関にはきちんと揃えられた一揃いの靴。自分もその隣に通勤用のパンプスを脱ぎながら、まだ慣れないな、と心の中で呟いた。恋人の待つところが、自分の帰る場所でもある。そこに靴を脱いで上がり込むという行為に、なぜだか無性に、どきどきしてしまう。
 しかしこちらのドキドキなんてなんのその。先に帰宅していた爆豪が、音に反応してリビングルームからひょこりと顔を覗かせる。

「おかえ、……」

 彼の口から、り、が発されない。電源でも抜けた? なんてありもしないことを思いながら、彼の視線を辿る。――硬直した爆豪が見つめているのは、の手元。どう見てもケーキが入っているだろう紙袋だった。そのとき、はすべてを理解した。

「……えっ、待って? うそでしょ?」

 ワックスの効いたフローリング張りの廊下を走り、キッチンへと向かう。爆豪の要望により導入された機能性抜群の大きな冷蔵庫を開けば、ちょうどアイラインの高さに、が予想した通りのものが入っていた。
 明らかにケーキが入っているであろう、白い箱。
 それを視認した瞬間にはもう、は笑い声を上げていた。彼女の笑い声を聞き、バツが悪そうな顔で爆豪がキッチンに入ってくる。

「やだー! 夕飯も朝食もケーキじゃん!」
「テメェが後発だろ! 確認しろや!」

 後発だなんて単語を日常会話に用いるのは恐らくヒーローくらいのものである。それを言うなら先発の勝己が状況報告を後発にするべきでしょともヒーローらしい思考をしたが、なぜか爆豪が食事系のものを買ってくると思い込んでいた自分にも非はある。は白い箱の隣に紙袋から取り出したそれそっくりの箱を並べ、冷蔵庫を閉じた。

「勝己がチキンとか買って来てよ、男なら肉でしょ」
「切島理論やめやがれ」

 漢なら肉だろ! を連呼していた同級生の真っ赤なシルエットを二人同時に思い出す。それならばきっと、の思い込みも切島のせいに違いなかった。今度どこかで会ったら今夜の話をしようと心に決めつつ、はスマホを操作する爆豪に続いてキッチンを出る。リビングルームの温かな照明の下で、爆豪が「どうすっか」と呟いた。恐らく夕飯のことを言っているのだろうなと思いながらコートを脱いで、折角家で過ごせるんだしピザの出前もいいかな、なんて思いついたところで、不思議と爆豪から目が離せなくなった。

 点けたままのテレビでは昼間のニュース映像が流れている。『大爆殺神ダイナマイトの活躍により――』これを読まされるキャスターが哀れで仕方なく、彼のヒーロー名が確定してからは仲間たちと寮の共有スペースでニュース映像を上映会してはゲラゲラ笑ったものだが。あの頃とは、違う。部屋着でくつろぐ彼が戻るのはそれぞれに割り当てられた自室ではなく、同じ寝室で。寝て起きても、隣に爆豪勝己がいる。次に会う約束をしなくてもいい。スケジュールの打ち合わせをしなくてもいい。待っていれば同じ場所に、彼が帰ってきてくれる。

「俺ァ元々ピザかなんかとるつもりで……、……ンだよ」

 の視線に気づいた爆豪が、顔を上げて片眉を上げる。

「いや、なんか……家に、居るなと思って」
「たりめェだろ頭沸いとんか」

 の率直な言葉に、爆豪は一層怪訝そうな顔をする。は真顔のままで首を横に振った。

「沸いてない」
「知っとるわ」
「お風呂は」
「沸いてる」

 そっちは沸いてんのね。テンポの良いやりとりが可笑しくて笑い声を上げれば、爆豪の口角も上がる。この感じは、良い意味であの頃のままだ。ただ、少しだけ違うのは。

「ゴキゲンかよ」

 そう言った爆豪が、躊躇いなくの身体を抱きしめることだった。人目を忍ぶ必要はもうない。もまた彼の背へと腕を回しながら、温かな肩口へと躊躇なく顔を埋めた。勝己の匂いがする。体温がする。この先ずっと、手を伸ばした先にこの人がいるなんて、毎日がクリスマスみたいだ。

「……どっちがよ」

 態度では甘えつつも可愛くない口を叩くのは、もはやご愛嬌である。けれど爆豪は彼女の後頭部に掌を添えると、慣れた仕草で彼女の顔を上げさせ、憎まれ口をたたいた唇に軽く口付けを贈った。

「どっちもだ」

 思わず笑ってしまいながらそんなことを言った直後、急に羞恥が押し寄せ、爆豪は誤魔化すようにの身体からコートを攫うと早々に彼女に背を向けた。からは反応もリアクションもない。恐らく自分と同じように、顔を赤くして硬直している。

「……さっさと風呂入れ」

 そう言われて初めて、は身体を動かすことができた。前言撤回だ。こんな生活を続けていたら、いつ心臓発作を起こしてもおかしくない。

メリー・ベリー・メリー

(今日も明日も、今年も来年も、)
2021.11.04