棒だけになってしまったアイスを唇に挟んだまま、隣を歩く彼の横顔へと視線を遣る。
 彼は幼くて無垢で大きな瞳を、目の前のアイス…を通り越したどこか違うところへと向けているようだった。夕陽のオレンジ色を呑み込んだ彼の瞳は一層澄んでいる。煌々とした輝きの奥で一体何を考えているやら、わたしには皆目検討もつかない。ただ、こんな時の綱吉の表情は少しだけ、本当に少しだけ凛々しくてオトナっぽいように思う。だから尚更彼の考えていることが分からないのが悔しい。
 その瞳で何処を眺めてるの?隣にいるわたしのことなんか、どうでもよくなるようなこと?
 ラムネ味のアイスですっきり爽快だったわたしの胸が、ずしりと俄かに重くなる。
 綱吉の手元のアイスから、ぽたり。放って置かないでと涙でも流すかのように、雫が垂れた。

「食べるの遅いね」

 綱吉の意識の外でただただ溶けていくだけのアイスが見てられなくて、なんだか無性に悲しくなったのでからかうように声を掛けてみた。…ら、綱吉がハッとしてわたしを見た。いや、だからわたしじゃなくて、アイス。

「垂れてるよ」
「え?…あ、本当…うわわっ!?」

 指差して伝えても、綱吉はでろでろのアイスを目の前にどこかぼんやりしたままだった。なので、ひょいと身を乗り出して綱吉のアイスをぺろりと舐めてやった。綱吉の驚きと動揺が入り混じったような悲鳴が聞こえる。それは舌からひやりと伝わってきたラムネ味と一緒になって、わたしの心をすっと爽やかにしてくれた。放って置かれたんだもん、これぐらいの意地悪は許されるはず。それに、食べられないまま溶けて地面の染みになっていくよりはアイスも本望だろう。
 姿勢を戻して綱吉の横顔を改めて見る。彼はわたしとアイスを、真っ赤な顔で、おろおろと見比べていた。まるで小学生のようなその反応に、自然と唇の端が持ち上がってしまう。

「まっか、だよ」
「うっ、うるさいな…!」
「…今わたしが舐めたの、綱吉じゃないよ?アイスだよ?」
「分かってるって!!そもそもそれ平然と言う台詞じゃないだろ!」

 眉尻を吊り上げて、真っ赤な顔のままで綱吉が怒る。だって、まるで綱吉自身がぺろーっとされたみたいなうろたえっぷりだったから。とは言わずに我慢して、笑いだけを声に出した。これ以上言ったら綱吉くん沸騰しちゃうんじゃないかな。それは可哀想だもの。綱吉が、まったくもう!とばかりにわたしから顔を背ける。

「ごめん」

 わたしの半笑いになった謝罪を聞きながら、綱吉は漸くアイスに口をつけた。それを見ながらわたしは(いいなぁ、)と無意識に心の中で呟いてしまったのだけれど、どちらを羨ましがったのかは自分でも分からない。…分からない、ということにしておく。
 なんだかヨコシマにもやもやしだした気持ちを誤魔化そうと、わたしは見慣れた通学路の中に話題を探した。
 そうして目に留まったのは、夕陽で橙色に染まった街路樹。

「そろそろ夏も終わるね」
「うん…」

 綱吉はアイスを飲み込みながら頷き、答えた。
 彼の視線は日に焼けたアスファルトへと落ちる。そしてそのまま、ある一点を見つめて眉を顰めた。何があるのだろうとそれを追えば、そこには捨てられて錆びた空き缶と、茶ばんだ新聞紙の断片と、それから。

「…少しだけ、寂しいな」

 仰向けに転がったまま動かない、蝉の姿があった。
 蝉の死骸は死んでるだろうと油断して近寄った途端に突然激しく暴れだすことが多いので苦手だ。そんなわたしはいつの間にか、それを道端に見つけると大きく避けて歩くようになっていた。でも、綱吉にとっては命に大小も、その姿の美醜も関係ないらしい。蝉の死骸に哀しそうな顔をする人なんて初めて見たよ。どこまで優しいひとなんだろう。
 わたし達の前を悠々と通り過ぎていく夏の背中を蝉の死骸に見た気がして、わたしまで切ない気持ちになってしまった。

「…!!当たりだ!当たり!初めて見た!!」

 …が、そんな切ない気持ちは綱吉の明朗な声に吹き飛ばされて藍色になりつつある東の空へと消えた。切り替え早すぎるよ、わたし置いてけぼりだったよちょっと。と動揺も僅かに彼を見れば、頬に微かに紅色を乗せ、嬉しそうにキラキラと目を輝かせている。その手には、いつの間にか食べきったらしいアイスの棒。普通ならのっぺらぼうで無愛想な筈のそこには、焦げ茶色の文字が躍っていた。
 あたり。
 落ち着かない様子でそれをわたしに見せたりまじまじ見つめたりしている綱吉があまりにも可愛かったので一瞬反応することを忘れてしまったけれど、我に返ったわたしは慌てて口からアイスの棒を抜いた。去り際に見せて驚かせようと思っていたけれど、これは想定外だったししょうがない。
 ずい!と綱吉にわたしのアイスの棒を差し出した。綱吉の目はそこにも刻まれている焦げ茶色の文字を見つめ、彼自身の手元へと移動し、そしてまたわたしのアイスの棒へと戻った所で漸く丸まった。

「えっ…、ええええ!?」

 綱吉の大きな声も人通りの少ない住宅街でなら、なんの問題もない。夕食の仕度をしている各家庭の奥さんが頭上にハテナマークを一瞬浮かべる程度だろう。と、いう訳でわたしは余裕の笑みを満面に湛えてみせた。
 わたしの食べたアイスもまた、あたり、だったのだ。

「おそろい!」

 空いた左手でピースなんか添えてみちゃったりしながら言うと、綱吉は驚いていた顔をくしゃくしゃにして笑った。

「すごい偶然だ!」
「そうだね!」

 笑顔もそのままに、わたしを真似るようにして綱吉がピースサインをアイスの棒に添える。笑顔が眩しい、って形容詞はこういう時に使うものなのだろうなと冷静に考えたりした。まるで夏のよう、と比喩しかけて、慌てて思い留まる。夏がわたしに背を向けて立ち去ろうとしているこの時期に、綱吉を夏に例えるのは、なんだかひどく恐ろしいことのように思えた。
 そうこうしているうちに曲がり角に着いてしまった。わたしは左、綱吉は直進。余計な事を考えてしまった所為か、今日は無性に綱吉の背中を見たくない気分だ。先に別れを告げてしまおうと、わたしはステップを踏むように軽やかに素早く角を曲がる。そこで振り返って、まだ分岐の間にいる綱吉に手を振った。

「じゃあ、また明日!」
「うん。…あ、!…それと…」

 踵を返そうとしたら、綱吉の遠慮がちな声がわたしの袖を引いた。
 もう一度振り返れば、そこにはまた、眩しい笑顔。

「また、来年」

 彼が遠慮がちに掲げたのは、アイスの棒だった。

「うん」

 わたしもアイスの棒を掲げて、それを振ってから前へと向き直った。
 綱吉の足音が徐々に遠くなっていくのを聴きながら、わたしもまた家へと歩みを進める。さっきまでの、去りゆく夏に綱吉を重ねて怯えていたわたしはもういない。
 だって、夏はまた来るじゃないか。



夏の背中にキック



(十折さんに捧げます。いつもありがとう!だいすき!)
(インスピレーションは哀婉さま「ラムネ味が唇に残る」より。//2010.09.07)