難しい顔をしながら弁当箱をしまう海藤くんの隣で、パックのジュースをじゅるじゅるとすする。
 あまりにも彼が思いつめた顔をしていたのでランチにお誘いして話を聞いてみたのだけれど、なんというか、ウマが合わないひとっていうのは誰にでも存在するのだなぁと思った。真面目な彼は不真面目なセンパイが許せない、たったそれだけの話。それが、海藤くんにとって大きな問題。
 中庭で昼食をとっている生徒はわたし達の他にもちらほらいるけど、その誰もが楽しそうに談笑している。木漏れ日の下でその笑い声をどこか遠くでおきている事のように聞きながら、わたしは隣で黙ったままの彼に問いかけた。

「そんなに嫌な人なの、そのセンパイって」
「…僕は好かない。どうしても、好くことができない」

 嫌な人だとは答えなかった。だけど、海藤くんはどうしても好きになれないらしい、そのひと。
 そのセンパイの噂は海藤くんの口から以外にも色んな方面で耳にしたことがあった。マイペースで、無気力で、サボリ癖があって、お菓子作りが上手。あと…そうそう、子持ち疑惑もあるんだっけ。こんなにも面白そうなそのセンパイに、わたしは未だに会ったことが無い。

「よし、まだ昼休みあるよね」
「ああ。あと10分少々あるが」

 空になったジュースのパックとパンの包み紙をビニール袋に入れて、手提げ部分をぎゅっと結ぶ。それを指先にちょいと引っ掛けて花壇から腰を上げ、膝に弁当箱を乗せて座ったままの海藤くんを見下ろす。海藤くんのきょとんとした顔に、わたしの影が掛かった。彼の目が、すっと細くなる。わたしの笑顔に嫌な予感を覚えたらしい。

「ちょっと案内してよ、そのセンパイの教室まで」
「断る」

 わたしの提案は一拍の間もなく否決されてしまった。あまりの早さに凹むとか残念とか思うよりも先に驚いてしまう。海藤くん、わたしがそう言おうとしてたのが分かってたんじゃないかな。何気にわたしの好奇心旺盛なところを理解してくれてるらしいと思えばくすぐったい気もするけど、それ以前にまず尋ねなければならないことがある。“どうして案内してくれないの?”それを言葉にしようとした矢先、海藤くんがツンとそっぽを向きながら声を発する。

「別に、わざわざ会いに行くような人でもない」
「そう。じゃあ頑張って探してみよう」

 これは頼み込むだけ無駄っぽいな。そう判断したわたしはさっさと海藤くんに背を向け、校舎の方へと歩みを進める…が、それは2歩で止めざるを得なかった。くん、と上半身が後ろに引かれる感覚。ずるりと後ろにずれたカーディガン。そっと振り返れば海藤くんがわたしを睨むように見上げながら、指先で遠慮がちにわたしのカーディガンの裾を掴んでいた。きゅ、と結ばれた口元と上目ぎみの瞳のせいでいつもより幾分か幼く見える。

「…海藤くん、カーディガン伸びるんですけど」
「………」
「ねえ、ちょっと海藤くんってば」

 海藤くんはカーディガンを離そうとしない。お気に入りのグレーのカーディガンがずるんずるんになるのは嫌なので、しょうがなく海藤くんと向き合うように方向転換した。ようやくカーディガンが解放される。海藤くんは一度ばっちり合った視線から逃れるように顔を俯け、わたしの爪先でそれを固定した。何か言おうとしてるらしいので根気良くそれが発されるのを待ってみる。秋の匂いのする風が、校庭の方から楽しそうな声を運んでくる。少し遠くでは先生が生徒を呼び止める声。そういえば、中庭の笑い声がさっきよりも随分と少なくなったようだ。そろそろチャイムが鳴るのかもしれない。ふわふわと思いつくままに巡らせていた思考は、覚悟を決めたようにわたしを見上げた海藤くんの瞳によってぴたりと動きを止めた。

さんまであのひとに毒されるのは、我慢ならない」

 一体何を言われるかと思えば。思わず吹き出して少し笑ってしまう。

「え?そのセンパイって毒持ってるの?」
「そういう訳では無いのだが」

 尋ねると、困った顔で海藤くんが答える。出会いがしらにいきなり噛み付いてきて毒が感染してウワー!みたいな展開を一瞬想像したけどさすがにそれは無いらしい。
 わたしもダテに海藤くんの話を聞いてない。彼の言う“毒される”は、恐らく“絆される”ことだろう。無気力なだけのそのセンパイは不思議と人を寄せ付ける。頑張っている訳でもないのに友人に恵まれる。もしかしたらわたしもそのセンパイに絆されて仲良しになってしまうかもしれない。もしも海藤くんが、それを嫌がっているんだとしたら。

「馬鹿だね」
「ばっ…!?」

 何を言い出すんだ!とばかりに目を見開いた海藤くんの顔を上から覗き込む。

「わたしは海藤くんが好きだよ」

 笑顔で言ってみたら、続きを紡げず中途半端に開いたままの海藤くんの口がぱくぱくと空回った。瞬く間に彼の頬が、耳が、まっかに染まっていく。どこか滑稽に見えるその表情は、縁日の広い水槽で苦しそうに泳ぐ金魚を思い出させた。
 何も言えずにおろおろする目の前の彼を指差し、わたしは畳み掛けるように喋る。

「だから、わたしはここからブレない。安心して」

 格好つけて笑みを深めながらそう言った途端、昼休み終了のチャイムが鳴り響いてしまった。それを聞いた海藤くんが真っ赤な顔と困ったような表情もそのままに「はっはやく戻ろう遅刻してしまう」だとか早口に喋るものだから、わたしはついに声を上げて笑ってしまった。
 センパイを探すのは、また明日に延期しよう。



この人の笑顔に殺される

(タイトルは星が水没さまより。|2010.10.02、真山)