彼の肩口に齧りつこうとした腐敗した顔を狙い、一瞬の迷いも無くトリガーを引く。ぱあんと小気味のいい音がした。肩まで走った衝撃に目を細めた頃にはその腐敗した頭は口をぽっかり開けたまま動かなくなり、ずしゃりと地面に崩れ落ちる。確認するようにもう一度銃口を向けるけれど、そいつは白濁した目を見開いたままぴくりとも動かない。土気色になって剥がれ落ちた皮膚の下には赤黒い筋肉、薄っすらと見える白は頭蓋骨だろうか。いつまで経っても見慣れることのできないその異様な容姿から目を引き剥がすと、今しがたコイツに食われかけていたとは思えぬほど爽やかに笑うレオンと目が合った。

「助けられたな。ありがとう、

 わたしは銃を仕舞い、代わりに指で作った銃を彼に向ける。

「貸しイチね」

 彼は肩を竦め、わたしの人差し指の先をちらりと見遣った。

「数えるなよ。俺に一体何を請求する気だ?」
「大統領直轄のエージェント様って、そんなに給料悪くないでしょ?」

 にっ、と唇の端を上げて見せればレオンも呆れたように笑う。そして今まで通り、施設内パソコンからデータをコピーする作業に戻った。ほとんどのパソコンが血液や銃弾で壊れて動かなくなっている中、このパソコンだけが液晶から画面を放っている。散らばる書類、倒れるデスク、大量の血痕、白衣の切片。この部屋でどんな惨劇があったのかは想像に難くない。というか、できれば想像したくない。
 レオンがカタカタと何かをキーボードで打ち込むと見慣れた赤と白の傘のマークが画面を踊った。わたしもレオンも、ほぼ同時に眉を顰める。

「…やはりアンブレラが関与していたのか」
「この惨状からして、なんとなく想像は出来たけどね…」

 既に事実上倒産したアンブレラだが、それの残した“遺産”は未だに様々なルートを伝って世界中を脅かし続けている。この研究所にも、人や動物、時には植物までもを生物兵器にする“遺産”があるという情報を得て調査に来たのだと、レオンは言っていた。わたしは彼をサポートするように言われて送り込まれただけの捜査員。…というのも、どうやらこれまでになりそうだとレオンの視線を受けながら思った。

。…よかったな。恐らく君も大統領直轄エージェントに昇進できるぞ」

 画面に表示された文面を見つめるわたしに、レオンがからかうように言った。この文章は、一体、どういうことなんだろう。読めるのに意味が呑み込めない。開いた口が塞がらない。

「レオン…これって、もしかして…」
「ああ。アンブレラの生物兵器開発には国も関与していたんだ。それも、幾らか支援する形でな」

 さらり、とさも当然のことのようにレオンが言う。いやいや!ちょっと!これってとんでもない機密なんじゃないの!?驚きすぎて言葉も出ないわたしを他所に、レオンはさっさとその画面を閉じてSDカードを引き抜いた。それをポケットに仕舞いこむとホルスターから銃を抜き、身を起こす。

「ウソでしょ!?この国はウイルス兵器開発に加担しておきながら…なんで…!?」
「さあな。俺もラクーンシティでこのことを知ったんだ」
「じゃあ…あのラクーンシティの“滅菌作戦”も、ただの国家的証拠隠滅…?」
「…それ以上は君の命が危ない、黙った方がいい」

 ちょんちょん、と口元にある細いマイク状の無線機を指し示してレオンが言う。わたしは慌てて口を噤み、お先が真っ暗になった自分の未来に思いを馳せた。ただの捜査の筈が化け物との戦闘を余儀なくされたって時点で結構参ってるのに、まさか国家の機密を知ることになるなんて…。これで本当に、大統領直轄の仲間入り?本音を言うと、まだまだ同僚の皆と仕事し続けたい、んだけど…ここで国家機密に触れたわたしをこの国が野放しするとも思えない。ああ、何も知らない30秒前のわたしに帰りたい…。

なら歓迎されるさ。腕も立つし、意外と度胸もある」

 足元を転がる…いわゆる、ゾンビ化した研究員の遺体に目を向けながらのレオンの言葉にわたしは盛大に溜息を吐いた。確かに、自分でも意外なくらいこの“バケモノ屋敷”と化した研究所にもバケモノそのものにも慣れつつある。でもそれはレオンの背中がそこにあったから勇気付けられているだけ。こんなところに一人で潜入していたら今頃気が狂っているところだ。

「でも、今わたしが平気でいられるのはレオンがいるからだよ」

 苦笑いを浮かべながら言うと、レオンが綺麗な青い目をスッと細めた。

「口説いてるのか?」
「前言撤回するね」
「…泣けるぜ」

 やれやれとばかりに首を横に振る彼を見ていたら、なんだか笑いが込み上がってきた。なんだろうこの…いじめたくなる感じ。頼りになるしクールで格好良いのに、可哀想で可愛い人だなぁ。我慢せずに声を漏らして笑えばレオンはわたしを再度見て、ふっと一瞬だけ笑った。そしてそれをすぐに引き締め、研究室から廊下へと続く扉を見据える。一瞬にしてレオンが“可愛い人”からエージェントに戻った瞬間だった。

「あとは脱出するだけだ。気を引き締めていくぞ」
「了解」

 わたしも緩みかけていた気持ちを表情ごときゅっと引き締め、銃をホルスターから抜き出して頷く。

 その瞬間、何も存在しない筈の背後から何かがわたしの肩を引いた。

 低い呻き声がすぐそこで鳴る。なんとも言い難い腐臭が強烈に鼻を突く。肩に爪が食い込み、痛みが走る。振り返った先の腐り崩れた顔面と剥かれた歯に頭が真っ白になった。そいつが口を開ける。喉の奥に赤黒い暗闇が見える。

!!」

 レオンの声と銃声が耳を劈き、瞬間的に景色に色と音が戻ってきた。肩にあった重苦しい痛みがずるりとわたしの腕を滑り落ち、口を開けたまま、黒いスーツを纏ったゾンビが床に崩れ落ちる。もう動かなくなったそいつの額には綺麗な丸が空いていて、レオンの手元、銃口から立ち上る硝煙を見れば今の一瞬で何があったのかはすぐさま理解出来た。
 ぽかんとするわたしに、レオンが銃を下げながら意地悪に笑う。

「これで貸し借りゼロだ」

 このタイミングでのその冗談は、わたしの心にいくらかの余裕を作ってくれた。引き攣っていた顔に笑みが戻って来るのが自分でも分かる。わたしは肩をすくめがらゾンビの死骸を一瞥して、レオンを見た。

「…あーあ、残念。あの貸しで、ご飯おごって貰おうと思ってたのに」
「そうだったのか?それは惜しいことをしたな…。次の貸しに期待しておくか」

 わざとらしく残念そうに言い、レオンはドアノブに手を掛ける。

「ちなみに、レオンはわたしへの貸しに何を請求するつもり?」

 銃に新しいマガジンをセットしながら彼に尋ねる。
 するとレオンはこちらを振り返り、くっと唇の端を持ち上げて笑いながら応えた。

「そうだな…。じゃあ、任務終了後に食事に付き合ってもらおうか」

 廊下への扉が開かれる。薄暗い廊下の先は真っ暗で、そちらからは明らかにゾンビと違う、爪を床で踏むような足音が聞こえた。いわゆるB.O.W.の類かもしれない。レオンと共に銃を構え、ゆっくりと長い廊下を進んでいく。不思議と怖くないのは、悔しいけどやっぱりこの背中がここにあるお蔭だ。

 国の機密とか、エージェントになるかも知れないとか、そんな未来のことなんて何も分からない。
 でも、とりあえずレオンに食事をおごって貰うためにこの場を生き抜こうとわたしは強く決意した。



エ ン ド レ ス ・ ゲ ー ム


(タイトルは“宴葬”さまより。//2010.08.09)