命がけの任務を果たしてきたレオンを迎えたのは、沢山の後始末だったようだ。

 中身は極秘らしいから何も教えてくれないけれど、包帯まみれの体で抱えていたファイルの分厚さを見ればその仕事の多さなんて一目瞭然。満身創痍の体を引き摺って、オフィスでやり切れなかった分の仕事を持って仕事部屋へと閉じこもってしまった。

 了解を得ないで入ると怒られる、ということを既に経験済みのあたしは素直にリビングのソファでクッションを抱えて彼の仕事が済むのを待つことにする。仕事とあたし、どっちが大事なの?なんて尋ねるような重い女にはなりたくない。だから、ひたすら待つ。

 例えレオンの居ないこの一週間がすごく寂しくて不安で怖いものだったとしても、久しぶりにレオンの声を電話で聞いただけでひっそり泣いてしまったりしていたとしても、ひたすらに我慢してレオンを待つ。

 甘えるのも謝るのも、レオンの仕事が終わって、レオンがしっかり休んでからにするんだ。


 …そう思い続けて待ち続けて、もうすぐ4時間経とうとしている。


 なんの音も聞こえてこない仕事部屋の扉をちらりと視線で伺ってみるけれど、やっぱりそれが開かれるような気配は微塵も無い。もしかして、レオンってばあれから4時間もずっとデスクに向かい続けているの?お腹空いたりしてないかな。ずっと同じ姿勢で、怪我に負担掛かったりしてないかな。…大丈夫、だよね?

 一回不安が脳裏を過ぎると、どうしても色んな嫌な予感が芽生えてそわそわとしてしまう。ソファの上で足を伸ばしたり縮めたりしながら、どうするべきかと思考を巡らす。このまま待つべきか、それとも声を掛けてみるべきか。

 ああ、どうしよう…声、掛けるぐらいなら良いかな。ノックして、声掛けて…もしも返事が返って来なかったら?そうなったら、その時はその時だ。よし、声を掛けてみよう。

 なぜか足音を忍ばせながら、ソファから降りて仕事部屋へと向かう。違和感程度に感じていた妙な緊張感は、その扉の前に立つ頃にはひどく膨らんで心臓を強く速く鼓動させていた。レオンがどれだけ仕事に真剣で真面目かを知っているからこそ、なんだか緊張してしまう。この部屋には、あたしの知らないレオンが居るような気がして、こわい。

 深呼吸を一往復、二往復。吸った息を肺にとどめて、意を決して扉を叩いた。不恰好にも、それは震えているように聞こえた。


「レオン?」


 返事は、ない。

 無意識にも、きゅっと眉根に皺が寄るのを感じながらもう一度扉を叩いた。今度は真っ直ぐ綺麗に音が響いた。


「ねぇ、レオン?」


 今度は声も強めに吐き出した。なのに、返事は、ない。

 焦燥にも似た不安が胸をぎゅっと締め上げて、呼吸が一瞬詰まるのを喉の奥に感じた。

 戸惑う指先はそっと扉の木目をなぞって、金属特有の冷たさを孕むドアノブへと触れる。…返事をしないレオンが悪いんだよ、あたしはレオンが心配でしょうがなくなっただけなんだから。自分に言い訳するようにアタマの中で呟いてから、ドアノブを一気に下げて、慎重に扉を押した。

 なんとなくこの部屋に薄暗いイメージを持ってたあたしは、その明るさに驚いて瞬きを繰り返してしまう。


 そしてそこにあった光景に、安堵の溜息と笑いを同時に零した。


 彼のデスクの上には山積みの書類と銃器がいくつか、それと放置されすぎてスタンバイ状態になっているパソコンが不機嫌そうな唸り声を上げている。そして、そこには見慣れた広い背中。ゆったりと上下するその肩はどうやら彼の規則正しい寝息に対応していて、まるで授業中に居眠りしている子供のようだ。

 そっと室内に足を踏み入れてその背中に歩み寄っても、彼の背中はぴくりとも動かない。ただ、呼吸を繰り返している。彼の手元を覗き込むと、メンテナンス途中で解体されたままのデザートイーグルが彼の腕の下敷きになっていた。その周囲に散らばっている書類は遠目に見てもシークレットって赤いスタンプが押してあるのが確認できたから、さっと目を背ける。例えその中身が白紙でも、だ。

 4時間も待ち損したなぁ、なんて心の中で舌打ちを零してしまうけれど、レオンがどれだけ大変なお仕事をしてるかは分かってるつもり。今日はこのまま(…にしておくのは怪我に悪そうだから本当は気が引けるんだけど、まさか運べないし。)寝かせてあげることにしよう。

 リビングからタオルケットを持ってきて、その背中に掛けてやる。まるで息子を持ったような気持ちになってしまいながら、部屋の電気だけを消して、レオンの仕事部屋を後にした。

 時計を確認すると、5:01の表示。夜明けももうすぐだし、今日はこのまま起きてようかな。中途半端に寝ても、眠いだけだし。欠伸をひとつ零して私室に足を向けかけたけれど、それは叶わなかった。

 背後から、扉を開く音が唐突に聞こえてきたからだ。

 驚いて咄嗟に振り返ると、そこには眠そうに目を擦りながら扉に身を預けるレオンの姿があった。肩に掛けられたままのタオルケットが、そんな彼の様子をより一層子供のように見せている。どうしたの?怖い夢でも見たの?なんて、そのさらさらした髪を撫でてやりたい衝動に駆られた。もちろん、そんな命知らずなことは出来ないけれど。


「…起きてたのか」


 眠そうに、いつもの数倍低くて掠れた声でレオンがぽつりと尋ねた。あたしは、驚いた顔のままで一度だけ頷いてみせる。

 するとレオンは少しだけバツが悪そうに視線を泳がせてから、わざとらしく髪をかき上げた。どうやらほんのりと罪悪感を感じてるらしい。普段はクールで冷静沈着なくせに、こういう時ばかりは少し幼く見えて可愛らしいから困ってしまう。だって、責めるに責められないじゃんか。

 大きな溜息を吐くと、レオンの視線がこちらに向いた。そのタイミングを見計らって、にっこりと満面の笑みを浮かべてみせる。レオンは、困惑したような表情を浮かべた。


「レオン、あたしは平気だよ。元々夜には強い体質なの。レオンこそお疲れでしょ?今日はもう寝たら?」


 それから何かを言いかけたレオンの唇の動作を読み取って、わざとらしく「あーそうそう、それとね、」なんて言葉を遮った。レオンの唇が大人しく言葉を発することをやめてきゅっと結ばれたのを確認してから、あたしは言葉を続ける。


「いくら愛しいからってデザートイーグルを抱いて寝るのはどうかと思うよ?ほら、彼女にキスマーク、付けられてる」


 そう言いながら自分の右手首を示して見せた。レオンの視線が、彼自身の右手首へと降りる。きっと彼のぼんやりとしたアイスブルーの双眼は、彼の右手首にくっきりと赤く付いたデザートイーグルのグリップの模様を捉えている筈だ。いわゆる寝跡だけど、ある意味キスマークで間違えてない、はず。

 レオンはフッと吐息混じりの笑いを零して、小首を傾げて視線をこちらに投げてきた。


「随分とジョークが上手くなったな、

「お蔭様で、ね」

「よく言うぜ」

「お互い様よ。…ほら、もう夜明けだよ。寝なきゃ。…今回のは、大変だったんでしょ?」



 一歩ずつ近付いてくるレオンを見つめながら、途中から見上げながら、静かな声音でそう言った。からかってみたりはしたけど、やっぱりレオンの身が心配なのは本当。出来ることなら、書類も何もかも全部、彼の体調が回復してからにして下さいってチーフに頭を下げたいくらいだ。だけどそれが叶うはずもないから、あたしはこうしてレオンの体を気遣う。あたしには、これしか出来ない。

 すぐ近くにまで来たレオンが、そっとあたしの頭を撫でた。レオンの、体温。不覚にも、あたしの涙腺は緩んでしまう。


「強がるなよ。言うべきセリフはおやすみなんかじゃなくて、会いたかった、だろ?」

「…そんな、こと、」

「そうか?俺は、ずっと会いたかったけどな」



 さも当り前のようにレオンがそう言って、びっくりしてレオンを見上げようとした時には唇に触れるだけのキスが降りてきてすぐ離れて行ってしまった。あまりにも早すぎる展開にアタマが付いていかない。見開いたままの目で彼を見上げると、彼はすごく綺麗に唇を三日月のように歪めて、今度こそゆっくりと、子供に発音の指導をするように言った。


「会いたかった」


 あたしも、って言いたかったけれど、レオンの指先がちょんと唇に触れて声を発することは出来なくなってしまった。言わなくても分かる、とでも言いたげなその笑みが憎い。くそう、なんて綺麗なんだこのひとは。滲み始めた視界に瞼で蓋をすると、頬に水が伝うような感覚がした。あたしの涙丘は、涙の重さに耐え切れなかったらしい。


「今度こそ、彼女にキスマークを付けて貰わないとな?」

「…レオンの、バカ」



 こうしてあたしたちは、"おかえり"も"ただいま"も声に出来ないまま、ただお互いに呼吸と体温を共有し合うのだ。

 夜明けが来て、夜の闇を朝日が浸蝕するその時まで。




白紙のままのレポート
(今はこの幸せを噛み締めていたい。それぐらい許されても良いだろ?)




(2008.10.25//絢斗ちゃんリク、「レオンで"白紙"テーマ」!ありがとー!)