「なんだ、思ったよりも上達してるな」

 レオンはそう、わたしの手から易々と奪ったナイフを左手で鮮やかに回しながら言った。その明るくてなんだかほわっとした感じの口調、感心したような表情から彼が本気でそう言ってるのは分かる。だからこそわたしはムカついた。これだけ簡単にわたしの攻撃を避けるばかりか武器まで奪っておいて"上達してるな"?冗談じゃない、また前と同じ。完全にわたしの敗北だ。
 視線を下げてレオンの手元を見れば、今までわたしの首筋に突きつけていたナイフを丁度仕舞う所だった。仕舞うその仕草すらもとても綺麗で優美に見えて、ちょっと泣きそうになる。神様、どうしてこの男をこんなに完璧に創ったのですか。

「褒めても怖い顔するのか。扱い難いな、お前は」

 ナイフを畳みながらレオンが笑う。だからどうしてそんなに簡単にわたしの心情を読むの、表情に出すまいと必死になってるわたしが馬鹿みたいじゃないか。わたしは必死で強張らせていた表情筋の力を一気に抜いて、悔しい顔を満面に浮かべることにした。丁寧に差し出されたわたしのコンバットナイフはかなり小さく見えて、わたしの手には余るほどなのにって思ったらもっと悔しくなった。手の大きさも、性別も、彼に勝てない言い訳にはしたくないのに。

「褒められてる気がしないからですよ、ミスター・スコット」
「…その他人行儀、いい加減やめないか」


 優しく細められているアイスブルーの瞳を睨むように見上げながらコンバットナイフをひったくった。レオンはおどけてみせるように、コンバットナイフを握っていた手を一度開いて見せてから降ろした。けれど彼の放った言葉には見事に不満が滲んでいて、レオンが余裕ぶってるのか本当に余裕なのか分からなくて思わずちょっと笑った。そんなわたしを見て、レオンが表情にすら不満を滲ませた。呆れたような溜息は、何に対するものなんだろう。

。俺の名前は?」
「レオン・スコット・ケネディ。5年前からこの職場に居る、元警官」
「そうだ。…ファーストネーム、知ってるのに呼ばないのか?」
「まだキミに勝てないからね。勝てたら、きっとちゃんと呼ぶから」
「……何年後になるんだ?」
「スコットくん、蹴っちゃうぞ」
「出来るものなら?」


 レオンがそう言い切る前に、わたしは左足を軸に右足を振り上げてハイキックの動作をしていた。ぎし、と突然の動作についていけなかったらしい左足首が軋む。このままいけば、わたしの足は凄い勢いでレオンのそのさらっさらな髪が揺れている頭に直撃する、はずだった。一筋縄じゃいかないのがレオンという男なのだ。やっぱりそれは、鮮やかに流されてしまう。
 しなやかに、わたしの振り上げた足の内側からレオンの振り上げた左足が交わって外側に避けられてしまった。当然わたしの体はバランスを失い、一瞬の空中浮遊、視界のブラックアウト。そして、背中と後頭部には鈍い痛みが走った。手入れの行き届いたフローリングは倒れるには痛いけど、訓練には優しすぎる。閉じた瞼を開いたら、訓練場の天井とわたしの間にレオンがいた。心配そうにわたしを覗き込んでいるけれど、悔しい顔をして見せたらすぐに彼の表情も緩む。

「困った、蹴ることも出来ないんだねー」
「接近戦であんなに隙の多い技、避けられるか足元すくわれるに決まってるだろ」
「うわあ、そっか。それ盲点」
「…頼むから、実戦ではそういうジョークするなよ」
「ジョーク?失礼ね、わたしは常に本気ですよ」
「………そうか、それは良かった」


 呆れたようにそう言って、レオンはわたしの隣に腰掛けた。だからわたしも身を起こしてみたら、予想外にレオンが近くて地味にびっくりした。気まずいとかそういうの通り越すぐらい微妙な距離がとても嫌で、とりあえずじりじりと離れてみる。ってせっかく離れたのになんでこの距離を詰めるのレオン!うーわあ近いよ近いよ綺麗な瞳が目前に…!これさっきより状況が悪化してるよね!近いにも程があるよね!わたしはテンパりにテンパった挙句、両手で力いっぱいレオンの胸板を押し返してみた。だめだ、なんで止まらないの!押しながらおしりだけで後退する、なんてギャグマンガみたいなスキルをわたしは持ち合わせていない。しょうがなく、ずるりと身をずらしてみた。これで一時的に避けら、れ………!?
 床に縫い付けられた右手首、見上げた先のレオンの笑み。その向こうに、さっきも見た訓練場の天井。
 この状況が示すのは、わたしが今ひどく追い詰められた状況だということ。

「…ところで、なんでこうなってるの」
「さぁ?逃げられたら追いたくなるだろ、その結果じゃないのか」
「わたしは羊か何か?」
「むしろウサギだな。もっとも、臆病じゃないウサギなんて愛らしくもないが」
「……狼さん、離してくださる?」
、次の任務はいつからだ?」


 あ、無視された。凄い勢いで無視された。思わずむっとして顔をしかめてしまうけど、レオンが答えを催促するようにちょいと首をかしげるものだからわたしが答えざるを得ないような空気になってしまう。記憶を遡って、つい先日届いた指令の中身を思い出す。たしか要人警護の指令で、期間は…。

「来週から、かな。暗殺予告された要人の警護で」
「相変わらずお前も血生臭い指令ばっかりだな」
「狙撃なら得意分野だからね。これに限ってはスコットにだって負けないよ」
「それなら俺のことファーストネームで呼んでくれても良いんじゃないか?」
「……んー、食事とか誘われそうでヤダ」
「…泣けるぜ」


 若干、レオンががっかりしたように肩を落とした。心からざまぁみろって思った。この人は変に女性に誠実で、女性に振り回されやすいという呪いを生まれながらにして背負ってるらしい。そんなレオンにわたしばかりが振り回されるのも癪だ。たまにはこうして、わたしが振り回してやらないと。
 そして唐突に、ふっと視界が翳った。額に柔らかくて暖かいものが触れて、ちゅっと可愛らしい音を立てて離れる。まるで挨拶のように淡々と行われたその一連の動作にわたしの脳が追いつく前に、レオンがわたしを見つめて笑った。

「まぁ、どう呼ばれてようが食事には誘うけどな。来週まで暇なんだろ?」

 今夜どうだ?そう付け足したレオンに、わたしはやっぱりこの人には勝てないなと思った。

「喜んで。ミスター・レオン」




ここにある日常

(エージェント同士だって恋をするらしいよ!)




(2008.09.15//レオンくんをライバル視のさん。さんの恋愛対象に入りたいレオンくん。)