陽射しが瞼を透かした鮮やかな赤色で、あたしの意識はぼんやりと覚醒してしまう。

 程好く心地良いまどろみの中を泳ぎながら、体温の映ったシーツの上で寝返りをひとつ。そうしたら彼の匂いがして、なんだか幸せで口元がゆるゆると弧を描いてしまう。目を開いた先に彼が居なくても、彼が居た証拠がここに確かに残っている。目さえ開かなければ、あたしは彼がここに居るって錯覚することが出来る。

 彼が凄く忙しい人で、常に命に関わる職場で働いていることも、そのお蔭で今この世界が平和だっていうのも分かってるつもりなんだけど、なぁ。せめてもう少し永く、勇敢で強靭でかっこいいエージェントのレオンじゃなくて、優しくてなんか可愛くてたまーにヘタレる、レオン・スコット・ケネディさんでいて欲しいな、なんて。そんなワガママ口にするだけで罰が当りそうだ。ていうかそんなこと言ったら、レオン待ちの全世界のヒロイン達に恨まれるのが目に見えている。(英雄を独占する権利があなたのような一般女子大生のどこにおありなの?)(ソーリー、レディ。わたしにも分からないのよ)いつの間にかレオンの隣っていうポジションになってた、ってだけだもの。本当に、いつの間にか。

 嗅覚が、ここにあってありえないものを嗅ぎ取った。香ばしくて苦い、珈琲の匂いだ。あたしは独り暮らしの女の子。ここでこうして寝そべっている以上、それが勝手に発生するなんてありえない。つまり、この家にはもう一人誰かがいるらしかった。誰かが、なんて素っ気無い考え方をしてはみるけれどそれが誰かなんて考えるまでも無いこと。ゆっくりとこちらに迫ってくる足音と、強くなる珈琲の匂いに自然と顔のニヤケは深まってしまう。せめて、彼がこの部屋の扉を開く前には直したい、けど。


「…まだ寝てるのか」


 あたしの狸寝入りは、どうにか間に合ったらしい。呆れたような声と溜息、そして珈琲の匂い。木と陶器のぶつかる音がふたつして、あたしの分も珈琲を淹れてくれたらしいことは容易に悟れた。うん、再確認するようだけどやっぱり優しいな。普段あんなに忙しい職場で命掛けて戦ってるこの人がキッチンに立って二人分の珈琲を鼻歌交じりに淹れる姿なんて、きっと誰にも想像できやしないだろう。その光景をあたしが目撃したのも、ここ最近の話だし。

 ふっと目の前の紅色が微かに影り、体温が降りて来る。大きな掌があたしの前髪をくしゃっと撫ぜて、指先でそれを弄びながら額に触れて、やがて頬にまで降りた。くすぐったくて瞼がぴくりと反応してしまったけれど、どうだろう、起きてるって気づかれちゃった、かな。そして、視界が一度真っ赤になって、真っ暗になった。唇に触れる体温はひどく熱くて、苦くて、珈琲の香りがした。その間から、しめっていてざらりとした感触が現れてあたしの唇の内側をさっと撫でて行った。う、わ、びっくりした!キスまでは想定内だったんだけ、ど!

 目を開けば目前に悪戯なアイスブルーの瞳。視線がぶつかった瞬間にそれはそっと愛しむように細められて、その微かなたった5ミリの動作で見事にあたしは酔わされてしまう。さらりと引力に従ってあたしの頬に降りる彼の前髪は、たぶんあたしの頬に影を落としている。


「おはよう、レディ。お目覚めで?」

「…おはよう、ミスター。お蔭様で素敵な目覚めだわ」


 嫌味っぽい挨拶すら格好良く聞こえるからおかしい。頑張ってあたしも嫌味っぽく返してみるけど、まるで大人が子供を軽くあしらうかのように、それは良かった、で返されてしまう。…やっぱり、すごく悔しい。どうやっても勝てない。彼とあたしの間が7歳差っていうのもあるんだろうけど、きっとこれ以上の差があたし達にはある筈だ。精神的な意味でも、人生経験的な意味でも。

 あたしの表情から何かを察したらしいレオンが首を傾げた。こういう鋭い所、ほんとに嫌で、でも大好きだ。


「どうかしたのか?」

「朝一番で襲っておいて、どの口でその台詞を言ってるの」

「無防備に寝てるフリしてるが悪いんだろ。俺は本能に従っただけだ」

「……寝てたもん」

「ウソつき」


 悪戯にあたしをからかうような口調でそう言うのに、あたしの瞼に下りたその唇があまりにも優しくて困った。あたしはどうしたら良いんだろうこれ。怒るに怒れないじゃない。ああ、またいつものパターン。(こうやってレオンに流されちゃうんだ、だからあたしはまだまだ子供だっていうのに)

 困惑顔のあたしを見て笑いながら、レオンがマグカップをひとつ手にとってあたしに差し出した。鼻をくすぐる、苦くて甘い珈琲の匂い。綺麗に白とブラウンの溶け合ったそれは、砂糖のたっぷり入ったカフェオレだ。あたしが未だに珈琲にはミルクを入れなきゃ飲めないことを、レオンは知りながら馬鹿にしようともしない。受け取ると、掌の内側がとても熱くなった。見上げた視線の先で、レオンは黒に近い色をした珈琲を口に運んだ。あんなに苦いもの、どうして何の惑いも無く飲めるんだろう。


「レオンは、大人だね」

「……ああ、そうだな?」


 ミルキィな色をした液体を眺めながら尋ねると、不思議そうな口調でレオンがそう応えてくれた。


「それで、あたしは子供だね」

「そうだな」


 今度は即答された!むっとして見上げれば、レオンは可笑しそうに小さくだけれど笑っていた。彼は表情もそのままに、右手に持つ珈琲もそのままにあたしに一歩だけ寄った。あたしは慌てて、ベッドの淵に移動して足をフローリングに下ろした。今の言葉で変な誤解をしないでって言いたくて、立とうとしたあたしを唐突にレオンが左手で制す。彼の意図が読めずに首を傾げれば、レオンも首を傾げた。その唇に浮かぶ笑みがあまりに綺麗で、どうしようと思った。


「俺は、お前の珈琲が甘すぎて飲めない。お前は、俺の珈琲が苦すぎて飲めない。…同じことだろ?これで子供か大人かが区別されるって言うんなら、俺だって十分子供になり得る」


 レオンがあたしの手からマグカップを掬うようにして攫っていって、そのひどくミルキィで甘ったるいそれを一口飲んだ。あたしはと言えば、行き場をなくした右手をだらしなく宙吊りにしたままで一度だけ上下したその白い喉仏を眺め、うっかり呆然としてしまう。けれどそれも一瞬のこと。すぐに、視界がレオンでいっぱいになってしまった。唇同士が触れそうで触れない距離を保って、レオンが低い声で囁く。


「そういう変なところに気を遣うからお前は子供なんだ」


 反論を許さず、その距離はなくなった。とても、甘い味がした。





シュガーレスをどうぞ




(2008.09.13//普通に彼氏をしているレオンを、どことなく欧米風にお届け。)