先生に出席簿を持って来るように頼まれて訪れた、いつもの教室。

 扉を開く前に何気なく廊下を見渡してみる。誰も居ない。実に静かだ。時折グラウンドの方から運動部の掛け声とか吹奏楽部の楽器の音とかが聞こえてくるぐらい。まぁ、放課後だし当たり前と言えば当たり前なのだけれど。

 廊下独特のひやりとした空気が、さっさと教室に入れとばかりにわたしの首の後ろを撫でる。

 急いで戻ったところで待っているのは冊子をホッチキスで留め続けるだけの作業だし、息抜きがてらちょっとのんびりしてやろう。紙ばっかり触ってたせいでカサついてる指先を引っ掛け、ゆっくりと扉を開けた。

 カーテンが夕陽でオレンジ色に染まっている。蛍光灯とは違う柔らかな灯りに満たされたその室内に、足を踏み入れる…と、視界の隅で大きな影が動いた。油断しきっていたわたしの心臓が一瞬跳ね上がる。咄嗟にそちらを向いたら、見られた本人も目をまんまるにしてこちらを見ていた。

 そこでは何故か、サンジくんが、大きな荷物と格闘していた。

 彼の手元には大きな紙袋がふたつ。どちらも中身が溢れんばかりにぱつんぱつんで、ラッピングされた包みが顔を覗かせている。わたしはそれを指さし、首を傾げた。

「…遅れてきたバレンタインデー?」
「…肯定してェとこだけど、残念ながら違ェんだな…」

 サンジくんが苦笑いを浮かべながら、荷物の横っぱらを軽く叩く。するとそのてっぺんにあった小さな包みが、ころりと転げて机でバウンド。フローリングの床に着地を決めた。わたしはそれに歩み寄り、ひょいと拾い上げる。

「サンジくん、プレゼント落ち…えっ!」
「ん?」

 その包みにくっついていた小さなカードには、シンプルなメッセージが一言だけ綴られていた。わたしはその“ハッピーバースデー”というメッセージをサンジくんの方に向ける。

「今日誕生日だったの?言ってくれればお祝いしたのに」
「その気持ちだけで十分さ。ありがとう」

 サンジくんがいつものように、優しい笑顔を見せる。ちなみに“いつものように”と言えるのはわたしが女子だから、であって彼がこういう笑顔を男子に向けているところは見たことがない。彼の優しさは本当に女子を大事に扱ってるんだなっていうのが分かるから、非常にくすぐったかったりする。

 3月、2日。今日の日付をしっかりと頭にインプットしながら、今拾ったプレゼントを紙袋の中に戻す。サンジくんはありがとうと言いながら目を細め、ゆるりと笑った。金色の髪が揺れる。優しい声。なんだか、サンジくんから春の匂いがした、気がした。

「…サンジくん、春生まれなんだね。言われて見ればそうっぽいかも」
「それは…どういう?」
「んー、なんだろうね…。春っぽいというか、暖かくて、優しくて、アホっぽい!」
「…綺麗なオチをありがとう、ちゃん」

 普通に褒めるのは癪だったので盛大にオトしてみたら、サンジくんはガックリと顔を俯けて分かり易く項垂れた。その様が可愛くて思わず声を出して笑うと、サンジくんも顔を上げて笑ってくれる。やっぱり、この人は春だ。

 さて、これで彼がなんでこんな大荷物と格闘してるのかが分かった。これは全部、彼に向けて贈られたバースデープレゼント達なのだ。よく見ると、きちんと包装されているものもあれば購買の袋や缶ジュースも混ざっている。きっと今日がサンジくんの誕生日だって学校に来てから知って、買ってあげた、とかそういう感じなんだろう。

「それにしても愛されてるね。こんなにいっぱい」
「愛されてる…のかねェ…。そうだといいが、よく分からねェ。コレとか悪意の塊だろ絶対」

 サンジくんは眉を顰めてそう言いながら、紙袋の中から缶ジュースを取り出した。オレンジ味のなっちゃんの顔に見慣れたグル眉と顎ヒゲが書き足されている。うわあ、これ贈った人絶対天才だわ…!サンジくんに申し訳ないから頑張って笑いを押し殺してはみるけど結局抑えきれずに唇からジワリと広がってきて、肩が震えた。やっばいこれあとで思い出し笑いしそうなクオリティ!

 サンジくんはそんなわたしに呆れたように微笑んで、荷物の上にその缶を乗せた。

「それに、おれが一番愛されてェひとからは、まだ何も貰ってねェしな」
「そうなの?」
「そうなの」

 わたしの口調を真似るように言い、サンジくんが真っ直ぐにわたしを見る。…真っ直ぐすぎて、どうしたらいいのか分からないぐらい、ものすごくこっちを、じっと見ている。え、なに、これは、アドバイスでもお求めなのでしょうか、サンジくん。額に、穴が、空きそうです、サンジくん。ああ、もう、まともに正面から見るとイケメンだから困る。サンジくんが眩しくて視線を一瞬だけカーテンへと逸らす。それから必死に言葉を手繰り寄せて、もう一度彼を見た。

「…そ、そっか…!来年の誕生日まで日にちあるし!頑張って!ねっ!」

 結果、ものすごくポジティブな励まし文句が飛び出した。…ら、サンジくんに深々と溜息を吐かれてしまった。どうやらサンジくんの欲しかった反応はこれじゃなかったらしい。もしかして既にフラれた、とか…そういう…?だ、だとしたらわたしなんてひどいことを言っちゃったんだろう…!!

 さあっ、と顔から血の気が引く。そんなわたしとは対照的に、少しだけ頬に紅色を乗せたサンジくんが決意したようにわたしの顔を見た。その表情で、わたしの憶測が勘違いであることを悟る。

ちゃん。…おれの誕生日、まだ終わってねェ」
「…うん?」
「あー…こう言うの、すげェアレなんだけど…やっぱ何か、欲しい、んだ」

 金色の髪をがしがし乱しながら、サンジくんが顔を更に赤くしつつ、わたしにそう言った。まるでお母さんにおねだりする子供みたいで可愛い。身長ぜんっぜんわたしより高いけど、このひと可愛い。

 サンジくんが女子に頂戴ってお願いするの、初めて聞いた!というか、こんなに真剣なサンジくんを見るのも初めてなんだけど、一体どうしたんだろう。そんなに何か期待されるようなもの、わたし持ってたっけ。とりあえずカーディガンのポケットに手を突っ込みながら、笑顔で頷いてみせる。

「うん!いいよ!ちょっと待ってね…ええっと…」

 右のポケットからは糸くずの感触しかしないけど、左のポケットからは冷たくて固い感触がした。わたしはそれを確かめもせずに取り出して、サンジくんの右手に乗せる。

 それは、見慣れた銅色の金属。十円玉だった。

「………じゅうえん」
「………、ぶッ、!」

 さすがにこれじゃダメよね?という意味を込めて誤魔化し笑いをしてみたら、サンジくんが唐突に吹き出した。左腕で腹を抱え、わたしに背を向けて屈みこむと肩どころか背中まで揺らして声を殺しながら大爆笑している。そ、そこまでものすごい反応されると思わなかった!唐突に自分の行動が恥ずかしくなって、耳にまで熱が宿る。

「ご、ごめんごめん冗談だよ冗談!そんなに笑わないでよ!えっと、な、何か他に…!」
「はぁ…本当に外さねェな、ちゃんは…。クソ嬉しいよ。10円玉、ありがたく頂いとくぜ」

 サンジくんは笑いすぎて目尻に涙まで溜めながらも、10円玉を指で抓んでみせた。それはやっぱりどこからどう見てもただの10円玉で、ありがたく頂いてもらうのは逆に申し訳ないような気が、する。 

「今年一番の贈り物をありがとな、ちゃん」

 その上嬉しそうにはにかみ笑いなんか浮かべられながらそんなこと言われちゃったもんだから、サンジくんは実はものすごい10円玉マニアなんじゃないかとさえ思い始めた。もしかしてわたしには分からないだけですごく価値の高い10円玉だったのかも。よくわからないけど。それでも一応からかうように、10円玉を指差してからりと笑ってみせる。

「えー?ただの10円だよ?」
「ああ。今年はこれでいい。…けど、」

 中途半端に言葉を区切って、サンジくんは大事そうに10円玉をブレザーのポケットに仕舞った。それから、彼を見上げながら言葉の続きを待つわたしの額を掌でぽんと撫ぜる。サンジくんの手は思っていたより大きくて、あったかいなあ、と思った。

「来年にはちゃんに“アタシをアゲル”って言ってもらえるように、頑張るから」

 えっ?
 疑問の声すら上げられずにいるわたしを見下ろして、サンジくんはニッコリと楽しそうに笑った。言葉の意味が飲み込めずにいるわたしを他所に、じゃあまた明日、だとかなんとか言いながら荷物を持ってさっさと教室から出て行っちゃったけど一体何を言ってたかは定かじゃない。だって、その前に言われた台詞が、不可解、すぎて。

 ちょっ!ちょっと待って!整理しよう!愛して貰いたいひとに、プレゼント貰えなくて、来年には貰えるように頑張れって、わたしは背中を押して、10円玉あげて、それが一番嬉しくて、来年にはアタシをアゲルってことはアタシが欲しくて、ええと、アタシってつまりちゃんで、…え?ちゃん、って、わたし、じゃないの。

 じゃあ、サンジくんが、愛して貰いたいひと、って。

「………えっ、…えええええええ!?」



春に呑まれる呼吸



 背中で聞いた絶叫は、彼女がおれの真意に気付いてくれたせい、だろうか。そうであって欲しい。ああ、これからバラティエでバイトだってのに、ダメだ。顔が緩んじまう。ちゃんのことばっか考えちまいそうだ。まったく、おれをたった10円でここまで喜ばすなんて。…ホント、罪なレディだ。




(なっちゃんじ(!)をあげたのはきっとウソップ。サンジくん誕生日おめでとう!大好き!!)
(タイトルは哀婉さまより//2011.03.02)