テーブルいっぱいに並べた料理を三歩ほど下がって眺め直す。量、質、彩り…よし、今日も完璧だ。
 腕を組みながらひとり軽く頷いた所で、昼飯の匂いを嗅ぎつけた船長が勢い良くダイニングに飛び込んできた。水着にシャツを羽織っただけの簡素な格好だ、髪は濡れている。…こいつ、プールからメシの匂いを嗅ぎつけてきたのか…ルフィの嗅覚は野生動物並みっつーか、それ以上だな。
 それを追いかけるようにしてウソップとチョッパー、ブルックも入ってくる。皆が揃うまで待て、まだ食うなよ、といつも通りの忠告をしながらキッチンに戻ると、今度はナミさんとロビンちゃんが一緒にやって来た。ああっ、カジュアルな格好のお2人も素敵だ…っ!
 彼女たちに暫し見惚れていると、視界の隅に目障りな緑色がちらりと映る。大体このぐらいのタイミングで…あー、やっぱり。最初に入って来た4人が待ちかねたらしく、メーシッ!メーシッ!とナイフとフォークを両手に歌い出しやがった。まったく、マナーもへったくれもねェクソ野郎共だ。そもそもブルック、お前イイ大人だろ。なんでそっちに混ざってんだよいっつも。

「んん?がいねェな」

 遅れて入って来たフランキーが怪訝そうな顔をしてそう言った。その名前を聞いただけでおれの心臓がむずりとくすぐられるように、疼く。平静を装いながらテーブルの方を向けば確かにナミさんの隣に空席がひとつ。いつもならルフィたちを見て笑っている筈のちゃんの横顔がそこには無かった。

ならさっき甲板で本読んでたぞ」

 続いてマリモがテーブルに頬杖を突きながら言う。オイオイどうしてテメェはちゃんがそうしてたことを知ってるんだ彼女のこと見てたのか気があるのかフザケンなお前なんぞにちゃんはやらねェぞクソマリモ!!と声を張り上げたい気持ちをぐっと抑えていると、ロビンちゃんがくすりと唇の端に笑みを乗せた。 

「もしかして、転寝してるんじゃないかしら?」
「最近ずーっと春島の気候だものね。つい寝ちゃうのも頷けるわ」

 ロビンちゃんの言葉にナミさんが明るく笑う。はぁ…悪戯っぽく笑うロビンちゃんも無邪気に笑うナミさんもなんて可憐で素敵なんだ…。本当に目の保養だぜ…。しかし、ちゃんが転寝しちまってるらしいってのは聞き逃せねェな。エプロンを外して適当にキッチンカウンターに乗せ、捲り上げていた袖を下ろしながら扉へと向かう。
 おれがどこへ何をしに行こうとしてるのか、疑問を投げかける声はない。それも当然だろう。ここにいるほぼ全員がおれのちゃんへの想いを知ってるからだ。サンジくん分かり易いんだもん、とナミさんやロビンちゃんに言われた時には女の勘はスゲェなと思ったが、マリモにまで指摘された時には驚きを通り越して思わず逆ギレしちまった。そんなに分かり易いかおれ、と落ち込んだ時期を経て、開き直り始めた今に至る。
 おれは世界中のレディが好きだ、大好きだ。でもちゃんのことは、特別好きなんだ。

「サンジ!」
「先に食ってろ」
「よっしゃ!いっただっきまーす!!」

 皆揃うまで食うなって言葉を律儀に守っていたルフィだったが、さすがにおれがちゃんを起こしてくるのを待てるほど我慢は利かねェらしい。名を呼ばれたんで許可したら、背後で騒々しいランチタイムが始まった。
 ドアを開け、外へと足を踏み出す。陽射しの眩しさに目を細めた。風は柔らかく暖かい。成る程、こりゃ転寝日和だ。こんな中で読書してりゃ、寝ねェ方が難しいだろう。

「しかしサンジの片想いも長ェよなー。もよく気付かねェよな、アレで」
「あのにっぶーいが相手よ?…サンジくんが苦戦する気持ち、少しだけ分かるわ」

 扉が閉まる間際に中から声が聞こえた。オイ聞こえてんぞ長ッパナ、と心の中でツッコんでから、ナミさん暖かなフォローをありがとうございます、と小さく礼を付け足した。すごく苦戦しました、大変でした、どうアプローチしてもふわふわとかわしてしまう彼女を捕まえるのは雲を掴むようなものでした。
 さて、これらが一体どうして過去形なのか。この事に関しては、あとでナミさんに報告しなきゃいけない。

 おれの長い長い片想いは昨日の夜に幕を閉じたのだ。
 それも、実に理想的な形で。

 舞台は夜のキッチン。静かに流れる時間。2人きり。絵に描いたようなシチュエーション。でも、おれが声に出した…否、出せた愛の言葉はお世辞にもロマンチックなものではなくて。シンプル過ぎたかも知れないそれに、ちゃんは頷いてくれた。小さく小さく、それでもしっかり、頷いたんだ!
 ああ、思い出すだけで羽根が生えたみたいに足元がふわふわするぜ…。浮き足立つとか浮かれるってのはまさにこういうことを言うんだな、納得した。

 そんな心情で愛しい“恋人”の寝顔を目の前にした今、おれの心臓は肋骨を突き破って飛び出さんばかりの大騒ぎだ。本を胸に、芝生を背に。柔らかな日差しの中で静かに寝息を立てる彼女は、まるで天使の如き可愛さだ。さっき羽根が生えたみたいに、だなんて比喩をしたが、ちゃんにこそ羽根が生えていて欲しいと心から思った。
 …いや、やっぱダメだ。羽根が生えてちゃ、いつ飛び去っちまうか分からない。ただでさえ捕まえるのに苦労したってのにそんなのは不安過ぎる。きっと必要以上に繋ぎ止めておきたくなっちまう。ただでさえ羽根が生えていない今でも、ずっと近くに置いときたい離れらんねェようにしたいって思ってるのに。

「…ちゃん、起きて」

 実現し得ない“もしもの話”はさて置き、おれはしゃがみ込んでちゃんに声をかけた。ちゃんの瞼がぴくりと動いて、睫が震える。それが少しずつ陽射しを受け入れるようにゆっくりゆっくりと持ち上がると、綺麗な瞳がおれを捉えた。瞼はまだ、半分しか開いていない。

「……うん、おはよ」

 ちゃんの寝顔も素敵だが、やっぱ起きてるちゃんが1番好きだ。
 眠たげな愛らしい声に自然と頬が緩むのを感じながら、言葉を紡ぐ。

「おはよう、ちゃん。皆もう昼飯食い始めちまってるぜ?」

 ちゃんはそれを聞いて、目をぱちぱちと幾度か瞬かせてから声を出さずにふふっと笑った。

「それは大変だね…。ルフィに全部食べられちゃう」

 その前におれはキミを食べてしまいたいんだけど、って言ったら漏れなく殴られてしまうか普通にヒかれてしまいそうなので慌てて言葉を呑み込んだ。危ねェ。何が危ねェって寝惚け眼のちゃんを見てヤラしいこと考えたおれが危ねェ!冷静になるんだ、おれ。夜の関係だのなんだの、そういうのはおれ達にはまだ早いんだ。

「お手をどうぞ、お嬢さん」

 身を起こした彼女にそっと右手を伸べると、彼女は左手で応えてくれた。

「ありがとう、サンジくん」

 冗談めかして笑うと、ちゃんも悪戯っぽく笑う。
 しばらくは、こんな“恋人同士”でいい。何も肌を重ねることばかりが恋人同士のすることじゃないんだ。こうやって目を合わせて、冗談を言って、笑い合って。これが今の、おれとちゃんの幸せだから。
 エロいことばっか考えてたちょっと前のおれがまるで嘘のようだ、って我ながら思う。恋が人を変えるってのは本当なんだな。さっきの浮き足立つ感覚と言い、ちゃんには色々と教えてもらってばっかりだ。もちろん、彼女には何も教えてるつもりはねェんだろうけど。おれも、彼女に何かを教えられていたらいいな。
 乗せられた左手をそっと握る。彼女も握り返してくれる。こんな些細なことでも、ああ想いが通じ合ってるんだ、って幸せな気分になっちまう。

 手を繋いだままでダイニングルームの扉の前に着くと、ちゃんは少し慌てた様子でおれを見上げた。

「…え、このまま入るの?」

 このまま、ってのは繋いでる手のことだろうか。そうだと判断して、おれはこくりと頷いて見せた。あとで報告するより、このまま入っていって見せ付けちまった方が早ェだろう。その方がマリモとかマリモとかマリモとか、そういう悪い虫も付きにくくなるだろうし。

「うん。…イヤ?」
「イヤ…じゃ、ない…けど、」

 ちゃんは歯切れの悪い返事をしながら視線を伏せる。それを追えば、そこには重なり合ったおれとちゃんの手があった。おれの手の感触を確かめるように、ちゃんの手に力が入ったり指が動いたりする。

「…そっか。わたし、本当にサンジくんと恋人同士なんだね」

 急におれを見上げたちゃんがすごく急なことを言ったもんで、思わず面食らっちまった。そりゃ、本当だよ、嘘な訳ねェだろ…!つーか嘘だったら泣くぞおれ!目を見開いたままちゃんを見下ろしていたら、ちゃんがパッと花を咲かせたように笑った。

「なんだか、夢みたい!」

 おれを見上げる無垢な笑顔。真っ赤な頬。無邪気な声。これ、今、全部おれのもんなんだよな?おれだけに向けられてるんだよな?オイオイ待てよ可愛すぎるだろ畜生…!!こんな可愛いちゃん、っつーかちゃんはいつも可愛いんだけど、でもこんなの見たことねェよ!こんなカオすんのかちゃん!つられて熱を持つ頬も、緩み出す表情も、おれを見上げるちゃんからは隠しようがない。だから諦めて脱力した笑みのまま、おれもちゃんを見下ろした。

「そりゃこっちのセリフだよ」

 夢みたいに幸せなのは、おれも同じだから。
 今、しあわせかい? そう尋ねるのが野暮なくらいの2人でいれたらいい。

 ドアノブを下ろしながら、おれは祈るように思った。


ふ た り に 未 来 を

(20万企画作品。眞子さんへ捧げます。//2010.03.23)
Inspilation By “ふれて未来を”:すきますいっち