流れ星が消えるまでに願い事を3回唱えれば叶う、なんて無責任なジンクスを作った人は今すぐわたしの前に出て来て土下座した姿勢からバク転してもう一度土下座するべきだ。そんなのできないよとその人が言うのなら、わたしは人懐っこい笑顔でこう問いかけるだろう。“できっこないことを他人に押し付けるのはよくないことだと分かりましたか?”

 そんなくだらない“いらぬ妄想”を、本日8つめの流れ星を逃したわたしは考える。船上生活をしていれば満天の星空なんて拝み放題の見上げ放題だし、流れ星なんて珍しいものじゃない。だけど今、船上ではなく夜の砂浜から見上げた星空は船上で見るそれよりも何倍も綺麗に見えて、ロマンチックで、ついつい使い古されたジンクスなんか引っ張り出してしまった訳で。寄せては返す波の音だけが響く空間に、ひとり。流れ星に願いを託す少女、とでも表現すれば可愛いのだろうけど、実際の所は“流れ星に向けて心の中でブツブツと早口言葉に挑戦する少女”だ。ロマンチックな星空も何もない、わたしは可愛いジンクスを用いて、自分でムードをぶち壊してしまったのである。

 嗅ぎ慣れた筈の潮の匂いがどこか透き通って感じるのは、この島特有の何かが影響しているのかもしれない。ログを持たない観光地。グランドラインの海賊たち御用達のそんな島に、我ら麦わら海賊団は束の間の休息を取りに来ていた。充実したリゾート施設、白い砂浜、温暖な気候、のんびりゆったりした空気…ここは本当に、リゾート地の名に恥じない素敵な島だ。こんな時にぐらいロマンスを期待したっていいよね、なんて思ってたけど、現実はそんなに甘くない。

 あーあ!わたしの想い人は水着美人なおねーさま方にメロリンのハリケーンでいつも以上にお話できなかった気がするよちくしょう!どうせわたしにムードたっぷりでロマンチックな恋はできませんよねー!ジンクスも成功しないし、なんだか夜空もムーディーに見えなくなってきた。でもそんな彼と星空の為に落ち込むのも癪なので開き直って砂浜に大の字になって寝転がってみることにする。砂は想っていたよりも柔らかくわたしを抱きとめてくれた。はっはっは!さぁ!これでムーディーでもなんでもないだろう星空め!ロマンチックなんてくそくらえ!

 でもそんなわたしの視界に飛び込んできたのは、綺麗な金色のお月様だった。

「お嬢さん、夜の潮風はお体に障りますよ」

 お月様は甘い声で言いながら、わたしと星空の間でにっこり笑う。綺麗な金色に月明かりを宿す彼が月なんかでは無いことに、わたしは5秒ほどかけてじっくりと考え込んでから気が付いた。弾みをつけて飛び上がるようにして身を起こす。勢いの所為で砂が服の中に入ってくすぐったいけど、これを追い出すのは彼と言葉を交わしてからでいいと思った。

「さっ…さ、ささささサンジくん!?なにしてんの!?」
「そりゃこっちのセリフだよ」


 どもりまくったわたしに笑いながら、サンジくんは金色をさらりと揺らして言葉を続ける。

「こんな時間に女の子が一人で何してんだ、危ねェだろ」
「…あ、……」


 サンジくんが急に現れたことへの驚きとか嬉しさとかで混乱してた頭が、彼の問いかけで一気に冷静さを取り戻していく。まさか「流れ星にサンジくんのお嫁さんになれますようにってお願いしてたのー!」なんて言えるはずも無い。それに、きっとサンジくんはこの砂浜に寝転がっていたのがどんな女の子だったとしても、きっと同じことを言うだろうから。

「隣、いいかな」
「…あ、うん。どうぞどうぞ」
「ありがとう」


 やっぱり夜は好都合な時間帯だ。ほんの少しだけ曇らせてしまった表情も、暗闇が綺麗に包んで隠してくれる。サンジくんの問い掛けに慌てて笑みを作りながら応えると、サンジくんはいつもと変わらない笑顔で返してくれた。隣に座る気配になんとなく落ち着けないのは、この星降る夜のビーチというムードのせいなのかな。それともサンジくんが珍しくスーツじゃないラフな格好をしているせいなのかも。ほんの数秒前まではうじうじしていたことがウソのように、今度は心臓が静かに速く脈打ち始める。ああ、もう、これだから恋する乙女ってやつは。隣のサンジくんの顔が、まるで見れない。やり場を失った視線を海へと向けると、そこはどこまでが海でどこからが夜空か分からなくなっていた。海面に映る月が、穏やかな波にゆらゆら揺れている。

「眠れなかったのかい?」
「うん…。なんていうか、落ち着かなくて」
「それじゃ、ちゃんが眠くなるまでおれもここにいるよ」
「え?でもサンジくんは普通に眠たいんじゃないの?」
ちゃんを夜の砂浜にひとりにはしておけねェよ」


 思いがけない言葉に自然と隣のサンジくんを見ると、サンジくんはちょっとだけ恥ずかしそうに、でも無邪気な子供みたいににっこりと笑ってみせた。紳士的で大人びた物言いとのギャップに、心臓が大きくぐらぐら揺れる。呼吸が鼓動に追いつかない。体中の体温がみるみる内に頬へと集まっていく。そんな具合にノックダウン寸前のわたしに、サンジくんは更に追い討ちを掛けるようにして悪戯っ子みたいにして笑った。少しだけ首を傾げたせいで、金色の髪がさらさら揺れる。

「それに、ちゃんと2人きりなんておいしいシチュエーションをみすみす手離せねェしな」

 波の音に掻き消えそうなぐらい低い声で、それは告げられた。思わず、ぎゃあ!って、心の中で叫んでしまったけど今のは声に出てないはずだ、うん、たぶん。でもあまりにも素直な自分の反応とわたしをそうさせるサンジくんの魅力が悔しくて、思いっきり顔を俯けながらぼそぼそと悪態を吐いた。「誰にでも言う癖に」「ははっ、つれねェなぁ」ほら、否定しないじゃない。わたしはお月様の作る影に隠れるようにして、少しだけ頬を膨らませた。

「星、綺麗だな。…船で見るよりも」

 サンジくんの感嘆するような声を聞いて、わたしもつられるように星を見上げる。さっきまで見飽きるほど見上げてたのに、やっぱり改めて見上げると綺麗。隣に、サンジくんがいるからかも知れない。ちらりとサンジくんの横顔を盗み見ると、サンジくんの目は感動と星空できらきらと輝いていた。きっと幼い頃のサンジくんも、こんな顔で夜空を見上げていたんだろうなと微笑ましくなる。だけど首筋に浮いた筋とか微かに上下する喉仏はちゃんと“男性”で、それを思った瞬間に心の奥がぎゅーっと熱くなった。なんて、無防備なんだろう。

 触りたい。そう思った時には、もう指先は彼の首に触れていた。

 びっくりされるかと思ったら、サンジくんはわたしを見て少しきょとんとするだけですぐにいつも通りに微笑む。無抵抗なのをいいことに、わたしの好奇心はするすると指先を滑らせていく。滑らかだろうなと思っていた彼の頬はやっぱりさらさらとしていて、金色の髪は色のイメージに反して冷たい。指先がサンジくんの唇に少しかかると、サンジくんは少し困ったように視線をわたしの手へと伏した。イヤだとは言わない。だからわたしの指先は、サンジくんの唇をそっと撫でてふにりと押した。すごくやわらかい。指先から手の甲へと、緊張に似た感覚がびりりと走る。するとサンジくんの表情に困惑の色が濃くなった。でもやっぱり、ヤダとは言わない。そういえばサンジくんの頬、微かに赤いような気がする。もしかして、どきどきしてくれてるのかな。

 サンジくんの肩にもう一方の手をそっと添えて、わたしは砂浜に膝立ちになる。前屈みに体重を移動すると、膝の部分だけが砂にずぶずぶと沈んでいく。だけどそんなことには構わず、わたしはこの一瞬の気の迷いを逃がすまいと、素早く王子様の額に唇をくっつけた。冷たい前髪と、あったかい額の両方の体温が唇の上でひとつになる。さすがのサンジくんもこれには驚いたようで、慌てて体をわたしの方へと向けた。わたしの顔を見上げる彼の表情はおろおろと慌てるようで、困惑してて、でも赤い頬はその先を期待してるようにさえ見える。この反応、さっきまでのわたしみたいだ。

「な…っ!?、ちゃん!今、なに…!?」

 言葉を必死に探しながら声に乗せるサンジくんの唇に、わたしは指先を下ろした。しーっ、と、お母さんが子供を黙らせるような仕草で。でもきっと今、わたしの方が子供みたいな顔をしているんだろうな。サンジくんの魅力にあっさりとなぎ倒された自分の理性が情けなくて。しかもサンジくんの可愛い反応に更にどきどきしだした自分を制御できないなんてどこのお盛んな青少年なんだろう、わたしは。

「わたしばっかりどきどきさせられてるの、ずるいよ。フェアじゃない」

 静かな声で言うと、サンジくんは目を見開いたまま、息を呑んだ。王子様を押し倒すお姫様がいても、不思議じゃないと思うの。ロマンチックとは程遠いけれど。これはたぶん、些細な逆襲なんだよ。ね、たくさんのお姫様をどきどきさせまくる浮気性な王子様?声にしないで小さく笑んで首を傾げて見せたら、サンジくんは混乱したまんま何も言わなくなってしまった。どこに触れたら、口付けたら。サンジくんは、もっと可愛い反応をしてくれるんだろう。サンジくんの目を見ていたら、なんだか彼をどこまでもいじめてみたくなってしまった。

 指先で首筋をなぞって、その後を唇で追うようにして口付ける。サンジくんの甘くて爽やかな匂いがする。サンジくんの手がわたしを静止するようにやんわりとわたしの腕を握るけれど、わたしは構わず唇を下へ下へと降ろしていく。その唇が鎖骨に達した所で、サンジくんの体は軽くぴくりと動き、手の力がきゅっと強まった。

「待って、待って…!これ以上はマズイ!」

 今度こそ暗闇でも分かるぐらい顔を真っ赤にしたサンジくんが、わたしを体から引き剥がす。わざとらしくきょとんとしてみせると、サンジくんは的確に何がマズイのかを説明できるような言葉を探して視線を夜空や海、砂浜へと泳がせた。それから意を決したように、耳まで赤いまんまだけど表情だけは真剣に、わたしを正面から見つめた。なんていうか、意地悪しがいのある人だなって、今更ながら思う。

「なんつーか…あれだよ…その…踏み越えちゃならねェ線を、越えちまうんだよ!おれが!」

 要するに、だ。サンジくんは今のわたしのセクハラがイヤだったワケじゃなくて。むしろそれに流されていきそうだった“サンジくん自身がマズイ”ということになる。分かり易い言葉にするなら、逆にわたしのことを襲いそうだ、ってことだ。自分で言ったことの癖に耳まで赤くしてわたしから視線を逸らすサンジくんを見ていたら、そんな風にしか解釈できない。

「じゃあ、わたしからその線を飛び越えてあげるよ」

 思い切ってそう提案すると、サンジくんは少しだけ頬の熱を冷ました顔でわたしを見た。流れ星のジンクスを作った人。さっきは悪態吐いてごめんなさい。貴方が言いたかったのはつまり、それだけの努力が出来るなら願い事を実現することに努力を向けなさい、ってことだったんだよね。

「ねえ、サンジくん」

 意を決して、息を吸う。真剣にわたしを見上げるサンジくんの目にはもう、動揺は無かった。

「      」

 それを合図に、サンジくんの掌がわたしの頭をぎゅっと引き寄せた。サンジくんの綺麗な顔が近付いて、さっき指先で触れた彼のやわらかい唇に、今度は唇で触れる。呼吸も許さないような唇の邂逅。必死でひとつになろうとするような、なんだかサンジくんにしては不恰好なキスだった。(王子様のようなそれを想像してたのはわたしのただの偏見だけど。)漸く思い出したようにわたしの頬が熱くなる。大胆になっちゃったのはきっと、無邪気なサンジくんの横顔と、星空のせいだ。ムードってすごい。ロマンチックばんざい。

 まだまだ朝は遠い。サンジくんとわたしの時間は、今始まったばかり。



魔法をかけてあげるよ

(20万企画作品。ナナオさんへ捧げます。//2010.03.08)
Inspilation By “One×Time”:おおつか あい