指で触れただけなのに、首筋に、ぴりっとした痛みが走った。鏡でそこを確認すれば、そこには綺麗な歯型が赤々と。白い首筋に自己主張をするように、堂々と居座っていた。指先で少し擦ると、血が固まった後特有のざりっとした感触がする。初めてじゃなくて、でもいつまで経っても慣れないそれにわたしは溜息を吐いた。これ、付けられる時は色々と、あの、必死だから…気にならないんだけど。翌朝気がつくとかなり痛いんだよね。それに隠すのも大変だってこと、彼は知ってて付けてるのかな。…絶対確信犯だろうな、だって彼は頭がいいのに意地が悪いんだもの。もう一回溜息を吐くと、木の床を踏む静かな音が聞こえた。その足音に反応して振り返れば、これを付けた張本人が丁度歯を磨きに来るところ。ただでさえ目つきが悪くてお世辞にも優しい顔とは言い難いその顔を彼は眠たげに歪めるものだから、更に怖いことなっている。でも、これには慣れた。だって、毎日合わせている顔だもん。「不機嫌そうだな」彼、ローは低い声で無表情のまま言う。「ローに言われたくない」きっぱり言い返せば、ローはふっと一瞬だけ唇の端を持ち上げた。わあ、なんて悪い顔!「やっぱり不機嫌じゃねぇか、どうしたローは淡々と、表情をさっきまでの無表情に戻して言った。どうした、じゃないよ!誰のせいだと思ってるの!前に付けられた歯型も消えてないのに!そうは思っても、思い切り怒鳴り散らせるほど朝の船内は騒がしくない。言葉をノドの奥で噛み殺せば、自然と眉間に皺が寄る。ローは、また唇の端を持ち上げた。「綺麗に残ったな、歯型」…本当に誰かどうにかしてよこの鬼畜!しかもそう言いながらローの指先はわたしの首筋の歯形をなぞるものだから、わたしは動揺してしまう。ぴり、とした痛みが走る。思わず顔を顰めた。でも、ローは嬉しそうな顔をした。ガラスか何かを扱うような繊細な指先が、痛みを生み出していく。「悪い、かさぶた剥がれた」悪びれた様子も無く、指先も退けないままでローが言った。道理で痛みが倍増したわけだよね…!ローの手を払い除けようとしたら、それを先読みしてたみたいにひょいと避けられてしまった。行く先のなくなった右腕を静かに下ろす。ローの指先には、わたしのものらしき赤い液体が滴っていた。咄嗟に自分の首筋を押さえる。うそ、あんなに血、出て…うわー出てる!かさぶたどころか傷口広げたなこいつ!痛い!「ロー!何してん…っ、!」怒鳴りついでに叩いてやろうとしたら、ローが彼の指先の血を赤い舌で絡め取るように舐めとったものだから言葉に詰まってしまう。まるで男を誘う娼婦のような妖艶さをまとうそれに、わたしの目は釘付けになってしまった。「甘ェ」「甘いわけないでしょ!」とりあえずツッコミだけは咄嗟に繰り出すことが出来た。でも、彼の両手が素早くわたしの両手首を捉えるものだからそれ以上何かを言うことは叶わなかった。わたしの首筋を押さえていた左手が、首筋から外される。その掌をローの舌が撫ぜる。そんなにわたしの血って甘いの?血糖値そんなに高くないよ、わたし。そんな風に考えちゃうくらい、なんだかローは楽しそうに見える。やがてローの顔がわたしの首筋へと寄っていった。しみるようなくすぐったいような感覚に身を捩らせるけど、わたしの両手首を掴んだローの両手が抵抗を許さない。ローの唇が首筋を滑り、ローの舌が、傷口を労わるように、けれど愛撫するように往復する。ぞくぞくと背筋を寒気に似た感覚を覚えた。「ロー、やめて、傷痛いよ」口にした言葉は、なんだか掠れていた。「甘いだけじゃつまらねぇ、そうだろ?」そう言うローの声も掠れていた。
その痛みさえ甘いということに、彼はいつになったら気が付くのだろう。
ふと見下ろせば、ローの首筋から背中にかけて三日月のような痣が数個。そういえばわたしも彼に痛みを分けているということを、今になって気が付いた。もう、文句言えないじゃない。



甘い爪をたてたつもり

(キャプテン…歯、みがけないよ…)(諦めろ、ベポ。…キッチン行こうぜ。)



(2009.01.18//彼の純愛が想像できなかったので。だって、きっとどえすだもの。)
(タイトルはジョゼンタの頬さまより。)