先程口にしたあんずのお酒は、ひどく甘口で美味だった。それはもう、ロック割りでアルコールが強めだということも忘れてしまうぐらいに。ふわふわと心地良く上昇している体温に任せて、足取りも軽く、わたしは暗い帰路を行く。ヒールが鳴る音さえもリズム。夜風に遊ばれる髪もそのままに、白のフレア・ミニスカートの裾が翻る感覚さえ愉しむ。気分はお姫様とまで行かなくても、どこかの映画の主人公ぐらいにはなってる自覚はあったりしたりしなかったりする。どうせこんな時間のこんな道なんて誰も通らないもの。お酒が入ってる今ぐらい、調子に乗ったってきっと罰は当たらないよね!…きっと世の中の酔っ払いさんは皆そう思うんだろう、けど。ふにゃりと緩んだ口元を訝しむ人も、今ここには居ない。わたしは緩みきった表情もそのままに、軽くステップを刻んでみる。とん、と、とんとん。ヒールの音が、さっきよりも鮮やかなリズムを生んだ。こつこつ、と2歩だけインターバルを挟んで、またステップを踏んでみる。とん、と、と、とんとん、と、と。


「…笑点?」

「いえ、今のは猫ふんじゃったのラストで……え?」



 そうそう、こうやって一人で歩くヒロインを主人公が格好良く車で攫いに来るんだよね!なんて能天気にも考えた自分をグーで殴りたい。お酒マジックはここまで人の頭を鈍らせるのね、恐ろしい。唐突にも程がある愛しきあの人の声に振り返れば、そこにはいつも通り黒い車の運転席から顔を覗かせる彼が居た。…うん、確かに、笹塚さんが、居る。…いやいやいや待って!なんで!?混乱して足を止めると、笹塚さんの車がすぐ横で止まった。ちなみに彼がどこに駐車しても駐禁を貼られることはない、刑事だからだ。それでも、こんな真夜中には車なんて通らないだろう道でも、きちんと端に寄せて止まる辺りに彼の人柄が表れている。そんな彼が、わたしは大好きだ。


「そうか、…で、こんな真夜中に何やってるんだ、ちゃん」

「……えっとです、ね…ステップ、……踏んでました……」

「…そうだな」



 普通に白状してみたら普通に納得されてしまった。え、え、これはこれでショックかも知れない…!だって、夜道で唐突にステップ踏んでも不思議じゃない子だって思われてるんだよね、わたし!お酒さえ入ってなければそんな奇怪な行動しないのに!お酒で赤らんでいたほっぺが、羞恥で更に熱を持つ。それでも笹塚さんは観察するようにわたしをじっと見るものだから、わたしは咄嗟に顔を逸らして回避する。


「それにしても奇遇ですね、笹塚さん。お仕事中ですか?」

ちゃん、酔ってる?」

「はい!…っじゃなくて、ええ、ちょっと、質問に答えてくださいってば…!」



 わたしは馬鹿かと。さもなければ阿呆かと。話題を逸らせたと思い込んで気を抜いた結果がコレだよ!白状しちゃったよわたし未成年なの笹塚さん知ってるのに!しかも相手刑事さん!敏腕の刑事さん!慌てて笹塚さんの方を見直せば、咄嗟に、しまった!って顔をしたのがバレバレだったみたいで、深い深い溜息を吐かれてしまった。あれ、まさか、逮捕されたりしちゃったりするのかな、わたし…。視線を彼の手元へと移して、注意深くその動きを見張る。もしも手錠を出されても、わたしは甘んじて繋がれることにしよう。別に好きな人に手錠をされたいとかそういう危ない願望がある訳じゃ、なくて。いやそれはそれで浪漫があるけど!ただ、逮捕されるかもという危機よりも、彼に失望されたかも知れないという事実の方がわたしにとってはショックなのだ。


「…未成年の飲酒は法律で禁止されてるだろ」


 いつもは大好きな笹塚さんの静かな声が、こわい。


「……すみません、でした」

「大人になるまで、待てない?」



 笹塚さんは子供を諭すようにわたしにそう言うけれど、実際わたしの年齢は大人と言うには未熟でも子供と呼ぶには成熟している。そんな狭間で揺れ動いているという、とてもデリケートな時期なのだ。実際、この歳になれば居酒屋さんでも普通にお酒を出してくれたりする。だから、大人になるまで待てなかった訳じゃなくて、…ああ、もう、こんな時は自分の語彙の無さを本当に恨む。視線を笹塚さんの目から剥せないままで困っていると、珍しく笹塚さんがちらりと視線を泳がせた。


「……違うか。ごめん」

「……え、あ、謝んないでくだ、さい…!わたしこそ、ごめんなさい!」



 ぽつ、と付け足すように呟かれた謝りの言葉があまりにも衝撃的で、何故か罪悪感を抱いた私は大慌てで頭を下げてしまったりする。どうして謝られたのか分かんないけど、どうして自分が頭を下げたのかも分からない。この先どうしよう。ていうか、笹塚さんの言ってることも別に間違いじゃなかった、のに。お酒でふわふわとなった頭が急速に冷えていく。けれど、そんな頭が再び温度を取り戻し始める。笹塚さんの手が優しく、わたしの髪を撫ぜたのだ。


「…ちゃんが大人になるまで待ってんのは、俺の方だったな」

 
 家まで送ってくから、乗って。
そんな風に続けられた言葉に反応するのも遅れるぐらい、笹塚さんの今の言葉には物凄い破壊力があった。笹塚さんの唇からそうやって放たれた言葉は口説き文句なのか優しい諭し文句なのか分からなくなるからずるい。そっか、笹塚さんはわたしを子ども扱いしてるんじゃなくて、大人になるまで我慢しててくれてるんだ。なんだか妙に嬉しくなってしまって、酔いが醒めた筈の頭にぽーっと再び霞がかかる。


「そのまま攫ってはくれませんか、笹塚さん」


 酔いのせいにすれば、今なら子供じみた冗談も許される気がした。へらへらと脱力しきってるだろう自分の笑みをぼんやりと脳内で想定しては、なんて間抜けな、とか思いながら。そうしたら笹塚さんは、そっと目を細めた。彼の薄い唇がそっと開いて、言葉を紡ぐべく動き出す。


「未成年じゃなきゃ、とっくにそうしてるよ」


 言いながら、笹塚さんの口角がちょっとだけ上がった気がした。なんでだろう、笹塚さんが酔ってる訳じゃないのに、今日の笹塚さんはなんだか饒舌だ。けれど笹塚さんが急かすように車のエンジンをかけるものだから、わたしは慌てて助手席側へと移動しなきゃならなくなった。忙しなくヒールが鳴って、助手席のドアを開けば、随分と嗅ぎ慣れた笹塚さんの煙草の匂い。ドアを閉めて、シートベルトがカチリと装着完了を告げるように鳴れば、車は緩やかな速度で滑らかに動き出す。ぱっ、と地面に車のライトが飛沫のように広がった。…笹塚さん、わたしを驚かそうとしてライト消してたのね…。どこまで確信犯なの、この人は。じとり、と隣にあるキレイな横顔を眺めると、笹塚さんは前を向いたままで首を傾げた。もしもわたしが成人してたら、笹塚さんは本当にわたしを攫ってくれたのかな。わたしが今未成年だってことを理由に軽くかわされたような気がして、眉を顰めた。


「もしも今、わたしが大人だったらどうしますか?」


 あれ、やっぱりわたしも饒舌だ。思った事がいつもの数倍のなめらかさでするりと出て来て、驚く前に息を呑んだ。尋ねたからには笹塚さんの答えを聞かなきゃならない。上手い言い逃れをあれこれ練る前に、笹塚さんが視線だけをわたしに向けた。…笹塚さん、それ、流し目って言うちょっとしたテクニックですよ。どこで覚えてきたんですかそんなテクニック。


「帰さない」


 さらり、と単刀直入に、ひどく分かり易い形の言葉で返事は返ってきた。こんなたった4文字の言葉だけで妙な想像働かせて気恥ずかしくなって窓の外を眺め始めてしまうなんて、まだまだわたしは子供みたいだ。こんなこと堂々と言ってこの余裕だもん…笹塚さんはどこまで大人なんだろう。やがて笹塚さんに追いつける日が来るのだろうか、このわたしにも。その時には笹塚さんの隣で、一緒にあんずのお酒を飲みたいな。

 笹塚さんの指が、ハンドルの上でリズムを刻む。とん、と、と、とんとん、と、と。笑点のつもりか猫ふんじゃったのラストのつもりかは分からないけれど、そのすごく子供じみたリズムにわたしは安心感を覚えて、つい意地悪のつもりで尋ねる。


「笹塚さん。わたしが大人になるまで、待てますか」

「…まぁ、努力はしてみるよ」



 ……意外と自信はないらしい。




ピーターパン

       など信じないのだ




(2009.06.01//80000打感謝リクより、笹塚さんの甘いお話でした!kyonさま、ありがとうございました!)
(タイトルはハーケンクロイツさまより)