大学に入ってから、高校時代に書いていたレポートなんてあんなのレポートの内にも入らないんだなと何回も思った。
書かなきゃならない量も、求められる内容の濃さも、高校時代のそれとはまるで比べ物にならない。
それでもどうにか友人達の助けを借りたりしながら大学二年生になることが出来たわたしは、今度は三年生になる為にもがき苦しんでいる。今度こそひとりでやり切るんだ、と意気込んだは良いけど、そんなに課題は甘くなかった。無理だよこれ。うん、無理だわ。
手帳で提出期限を確認すると、丁寧に最初から25日の欄にプリントされているクリスマスの表示が自然と目に入った。課題で必死な上に一緒に過ごすような相手もいない私への当て付けかチクショウ。クリスマスの魔法なんて一時的なものだもん、そんなのに浮かされるカップルなんて、カップルなんて、…羨ましいよもう!こちとらあの人に恋焦れるばかりだっていうのに!
机の上に山の如く積み上げられた資料のうちのひとつを乱暴に手にとって開いた。八つ当たり?ええそうですとも。
古びた白色を背景に、訳の分からない文字がぐるぐると並び踊っている。うわあ、目が、回りそう。
「それ、課題?」
不意に声をかけられて、わたしは本を眺めていた難しい顔のままでそちらを見上げる。
耳に届いた低い声は男性のものだったけど、そんなの関係ない。今のわたしは、不機嫌なのだ。
そして、たっぷり3秒。
その相手と見詰め合ってから、わたしの心臓は驚きのあまり物凄い速さで脈打ち始めるのである。
何を隠そう、そこにはわたしの大好きな、だいすきな、笹塚、衛士くんが、いた。
…やめて、かみさま、こういう、ドッキリ的なそういうアレは、ちょっと。
「…?」
「あ、あ、うん。そうだよ、課題!」
「…、声デカイ。ここ、図書館」
不思議そうに首を傾げた笹塚くんに焦って声を荒げると、笹塚くんは静かにと示すように唇に人差し指を当てる仕草をして少しだけ笑った。笹塚くんにこの動作を最初に教えた人を、本気で賞賛したい。
「そ、だった…ごめん」極度に声を落としながら頷くと、笹塚くんも頷いた。「分かればいいよ、気にすんなって」違う意味で気になるんだけどどうしたらいいかなわたし!
笹塚くんはわたしの手の中にある資料を軽く覗き込んでから、わたしの隣の席に着いた。うわ、うわ、接 近 戦 …!
「それ、課題だろ?手伝うよ」
「…え?……いいの?」
「ん。もう俺、それ終わってるし」
「ほんと!?」
「、だから、声」
「…あ、ごめん…。それにしても早いね、さすが笹塚くん」
「どうってことないよ。笛吹も終わってるみたいだし」
「笛吹くんもかぁ…すごいね、ふたりとも」
「大袈裟」
大袈裟なことないよ、って言い返そうとしたら笹塚くんが腕まくりをしたせいで、その白い手首に目が惹き付けられてうっかり言葉を発し忘れてしまった。「ほら、シャーペン握って」と笹塚くんがシャーペンを渡してくれる。やばい。すごくありがたいし、すごく嬉しいけど、集中できるのかなこれ。ヨコシマなことばっかり考えちゃいそうだ。
口から出そうな心臓をどうにか押し込めようと頑張ってみる。笹塚くんが手伝ってくれるんだ、必死で、頑張るぞ!、集中!
そうやって自分を叱り付けた甲斐あって、それから笹塚くんの指導がすごく分かり易いってこともあって、わたしはなんとかレポートを暫定的にだけれど終えることが出来たのだった。
長い間同じ姿勢だったせいで背中と腰が痛い。机に伏せると、背面から笹塚くんの声が聞こえた。
「結構やってたな…もう7時か。、お疲れ」
「いえいえ、笹塚くんこそお疲れ様。こんな時間まで付き合わせてごめんね?」
「いいよ、俺がやりたくてやったことだし」
「すごく、助かりました…」
「後は見直して、修正加えて終わり」
背筋を起こして笹塚くんの方を見ると、笹塚くんは欠伸をかみ殺して涙目になっていた。かわいいなぁ。わたしの心臓、よく頑張った!よく耐えた!笹塚くんとたくさん喋れたし、今日はなんて幸せな日なんだろう!
窓の外へと目を向けると、すっかり暗くなった町並みにはイルミネーションが灯り始めていた。
白、赤、緑。ひとつの銀河のようになっているそれはとても綺麗で、わたしの視線を追うようにそれを見た笹塚くんは、何かに納得するように小さく頷いていた。今なら、聞けるかもしれない。少し効き過ぎている暖房の熱に浮かされたせいにして、わたしは唇を動かした。笹塚くんの目が、こちらを向く。
「もうすぐクリスマスだね」
「そうだな」
「クリスマスって、恋人たちの季節だよね」
「…そうなのか?」
「そうなの、一般的には」
「へぇ」
「そこで、笹塚くんに質問です」
「ん?」
「笹塚くんには、その、…好きな人とか、いたりしないの?」
「いるけど」
「………え」
「…いや、なに、その顔」
思いっきり驚いた顔をしたわたしに、笹塚くんは心外だとばかりに目を細めた。「俺だって恋ぐらいするよ」そんなこと言いながらそんな意地悪に笑まなくてもいいじゃない、わたしにトドメを刺したいのかなこの人は。
「へ、へぇ…そっか…うん、覚えとく」わたしは曖昧に誤魔化しながら、シャーペンを筆箱に仕舞った。動揺のあまり指先が覚束ない。布製の筆箱のファスナーが、閉められない。視界の隅で、笹塚くんの大きな白い手がハードカバーの大きな本を掴んだのが見えた。
「、こっち向いて」
ちょっと躊躇してから、わたしは笹塚くんのその声に従った。笹塚くんの方へと顔を向けると、不意に視界が暗くなった。
瞬間、唇に柔らかい衝突。
笹塚くんの手に握られた大きな本が、わたしと笹塚くんの顔を、周りから隠しているらしかった。
え、ええ、えええ!?待って、なにこの超展開!どうしてこうなってるの!ホワイ!?なぜ!?
混乱とか恥ずかしさとかで沸騰寸前のわたしの頭を置いてけぼりに、笹塚くんは唇を離してから、また、少しだけ笑った。
「意外と気付かねーもんなんだな。この、どんかん」
ぼん、と大きな本のハードカバーでわたしの頭を軽く叩いて、笹塚くんは歩いて行ってしまった。
…よく、分かんないけど、鈍感で、ごめんなさい…。今のわたしの思考回路じゃ、こう思うことが精一杯です。
自惚れる子羊たち
(き、貴様…公共施設で何を…!)(…笛吹、見てたのか。一応本で隠したんだけど?)(多分そういう問題じゃないですよ…)
(2008.12.11//笹塚さんの大学時代捏造。好きな子には積極的だといいな、なんて。)
(タイトルはジョゼンタの頬さまより。)