「何故貴様は人間なのだ、
「……なに、シェイクスピアの作品でも読んだの?」

弥子が学校に行っている間のいつもより静かな事務所。それもまた平日の昼間の『いつも』のことで、今日もまたいつも通りにあかねちゃんのキーボードを叩く音とあたしが雑誌をめくる音だけが灰色の空間を満たしていた。ただひとつだけいつもと違ったのは、この、魔人の様子だ。何かを考え込むように、あるいは品定めでもするかのように、雑誌を読むあたしの横っ面に視線を投げ掛けっていうか投げ付けてきていて、最初は気にしてたあたしも面倒臭くなってそれを無視してたら、これだ。さっきまでの視線はあたしが人じゃないと確信できるような部位でも探してたのかな。あたしは正真正銘の人間だしそんなのあるわけないのにな。だからちょっと皮肉ってみたら、ネウロは意地悪そうに唇をニィっと吊り上げた。ああ、悪いこと考えてる顔だ。良い予感がしない。

「ほう、貴様3文字以上のカタカナが読めたのか」
「…読めるよ、吾代さんじゃあるまいし。それにシェイクスピアだって読んだし」
「我輩も一度目は通した。地上の一般的な教養の一部だ」

ネウロはあくまでも自身がシェイクスピアの作品に興味や関心は無いと主張したいみたいだった。少なくともあたしにはそう見えた。確かにシェイクスピアの作品は人間らしくて、魔人視点から言うと人間臭くて、彼の気には召さなかったのではないかと思う。シェイクスピア作品の登場人物たちの心情が汲み取れずハードカバーの分厚い本片手に首をひねる魔人なんてシュールすぎてちょっと可愛いかもしれない。そうやって突っぱねないでもう少しちゃんとああいう本を読めば、きっと人間の事も少しは分かるだろうに。不満げに眉を顰めたら、ネウロは一層笑ってトロイから足を下ろした。ソファにゆったりと腰掛けているあたしの前まで瞬く間に移動してきたと思ったら、驚きに目を瞬かせているあたしの目の前、机に座ってあたしを真正面から、みつめ、てる。うわぁ、やめてほしい。ただでさえ前々から綺麗な顔だなあって思ってたのにそうガン見されますと、照れる、以前に、こわい!視線をあかねちゃんの方に逃がす。あかねちゃんはその視線に気付いて壁紙の裏に隠れた!

「何処を見ているのだ、

この妙な甘さを孕んだ声に、あたしの鼓膜は溶かされてしまうんじゃないだろうかと思った。視線も声もいつの間にやら頬に添えられた無機質なはずの長い指もぜんぶが熱い。おずおずとネウロを見上げる。ネウロは満足そうにニヤリと笑った。

「おお、。貴様は何故なのだ。我輩を想うなら人間である自分を捨てて、名前を名乗らなければいい。もしそうしないなら、我輩への絶対忠誠を誓え。そうすれば、貴様は最早人間では無くなるだろう」
「……要するに、犬になれって言ってるのね」

あたしの言葉を正解だと肯定するようにネウロの唇は弧を描いたままだ。この有名なジュリエットの台詞って、こんなに物騒なものじゃなかった筈だ。もっともっと純粋でロミオに対する切実な愛情がこもってた筈、だよね…?でもとりあえずそんな素朴な疑問は置いといて、あたしを見下すようなネウロの視線がムカつくのできちんと返答は返すことにする。負けじとネウロを見返した。ネウロの表情は依然として微塵も動かされない。

「…もしあなたがという名前が気に入らないのなら、もうあたしはではない。助手とでも何とでも好きなように呼んで下さいな」
「…犬、の間違いだろう?」
「だれが」
「フン、下らないな。所詮は幼児向けの童話だ、台詞の一部を引用するにも寒気がする」
「そもそも男女が逆だしね」

ネウロは言葉を本当に吐き捨てるように紡いだあと、あたしの前から離れた。あたしの視線はまた雑誌へと向け直される。ああもう、魔人相手だと言葉遊びするだけでもかなり疲れる。深々と溜息を吐くと、ネウロは今度はあたしの隣りに腰を落ち着けた。こいつは、ほんと、どこまであたしの読書を妨害したいのかなぁ!

「…なんだその顔は」
「不満なの。読書させてくれる気は無いわけ?」
「最初の問いに答えろ」

さいしょ?少し考えてから、あまりにも奇抜だったこの展開の発端となった彼の一言を思い出して思わず間抜けな声を上げる。いや、でも思い出したには思い出したけど答えられるような問いじゃない、ような?どうしてって言われても、あたしは人間に生まれちゃったんだから。

「…それこそ、ロミオとジュリエットだよね。あたしは人間に生まれただから、なの。ネウロだって同じ筈でしょ?ねぇネウロ、どうしてあなたはネウロなの?」
「愚問だな」
「先に言ったのはどっちよ?」
「…………」

珍しくネウロが言葉を探すように黙り込んで、ふと視線を下に降ろした。これで少しの間は考え込んでてくれないかな、雑誌に目を戻したいんだけどな。でもそういえば前にネウロを無視して雑誌読んでて雑誌燃やされたのを思い出して、落としかけた視線をまたネウロに戻した。ネウロはいつのまにかあたしを見てた。あたしはびっくりして、一瞬だけ呼吸を忘れた。

「…成る程。シェイクスピアか、下等種族にしては面白い考え方をする」
「………え、」
「貴様は人間である以前にだ。人間だのなんだの、そもそも我輩には関係が無いのか」

つまりネウロは、あたしが下等生物であることに何かしらのもやもや感を抱いていたらしい。あたしが下等生物ではいけないような事情が、きっと彼にはあるのだ。でもそれが一体何なのかはあたしには分からないから、とりあえずそうだねと一度頷くだけにしておいた。ネウロの顔がぐっと近付く。逃げられない、いつの間にかネウロの腕が首の後ろにまで回されている。

「だが、我輩はロミオ役などまっぴら御免だぞ。毒に殺される惨めな人間など」
「じゃあ他に誰が居るの」
「毒が良い。ジュリエットを愛する男を殺す、劇薬が」

ネウロらしい回答だと思った。ネウロの唇があたしのそれへと触れる。うわぁ、キスを覚えたてのあの頃とは比べ物にならないくらい上手くなってるよこいつ。あたしは目を閉じた。舌の先が焼けるように痛むのを、どこか他人事のように感じていた。



極彩色ロマンスに

殺 さ れ る

(ねぇネウロ、あたしあんたになら殺されてもいい気がするよ。)




2008.06.19