Merry White #004


 少年がシャワーを浴び始めた頃、マルコは脱衣所から数歩ほど離れた壁に背を預けていた。この船の中は広い上、人が多い。少年がシャワーを浴びているとも知らずに他のクルーが浴室内に入りでもすれば、あの野生動物並みの警戒心を持つ少年のことだ、恐らく瞬く間に喧嘩になるに違いない。それは面倒だ。それに運良く無事にシャワーを浴び終えられたとしても船内をひとりでうろつかれて迷子になられるのも、また面倒。
 仕方なくここで彼の入浴が終わるのを待つことにしたのだった。

 扉を見遣り、足元を見遣り、人の気配のする右隣を見遣る。するとそのタイミングを見計らったかのように曲がり角からひょこり、と。見慣れたリーゼント頭と笑顔が覗いた。げっ、とでも言いたげにマルコが片眉を上げれば、それを合図にそのリーゼント頭―4番隊隊長、サッチが駆け寄ってくる。

「マールコっ!」

 スキップするような音で可愛く呼ばれ、お前はおれの恋人かよい、とツッコみそうになるが堪える。
 サッチは締まりのない表情でマルコの前に立つと、水音が微かに聞こえてくる浴室を親指でくいっと指し示した。的中した嫌な予感に、マルコは上げていた片眉を下げてそのまま顰める。

「今風呂入ってんだろ?例の“拾いもの”!」

 あの船から拾った少年が目を覚ましたという情報は凄まじい速さで船内を駆け巡り、サッチの耳にも入っていたようだ。それを知ればきっとサッチは無駄すぎる明るさとハイテンションをもって少年に絡みに来るだろうなとは思っていたが…何も、このタイミングじゃなくてもいいだろうに。
 今にも浴室に飛び込みそうなサッチの動きを警戒しつつ、マルコは低い声を出す。

「…もう見ただろうがよい。なんも珍しくねェ、ただの銀髪のガキだ」
「見ただけじゃねェか!お前だけ顔馴染みだなんてズルイだろ!」

 この船に運んできたとき、甲板で野次馬をしていたクルーの中にサッチもさり気なく混ざっていた。ボロ雑巾のように汚れてぐったりとした、意識の無い少年の姿ならその時に彼も見ている筈である。というか、ずるいも何もない。むしろ彼を拾ってきた責任感で面倒を見ているこの役回りに早くも疲れ始めているのが本音だ。
 それに、少年がもっと気さくで面白いヤツならばここで紹介もできるのだが…“あの様子”では、サッチにも言葉の刃を飛ばすだけだろう。会わせたところで互いに何のメリットもない。そういう訳で、マルコはサッチを適当にあしらいにかかった。

「口の減らねェただのガキだよい。別に何も面白かねェ…、っ!」

 言葉の終わりを待たず、サッチの腕がマルコの首をがっしりとホールドした。
 驚くマルコを強引に引きずり、サッチが浴室目掛けて前進を始める。

「おい!何すんだよい!!」
「裸の付き合いで一気に仲良くなる!題して!どっきりお風呂でポロリもあるよ作戦だ!
何をぽろりする気だよい!?ふざけんな!離せサッチ!」

 ツッコミもそこそこにサッチの腕を掴んで離せ離せともがいてみるが、サッチの手は既に脱衣所の扉を開けていた。
 そんなただのオープンな変態でしかない仲良し作戦、どうせやるならひとりでやってくれ。そんでひとりで殴られてくれ。もうなんでもいい、どうでもいい、頼むからおれを巻き込むんじゃねェよい…。
 精神的ヒットポイントが底をつきそうなマルコを他所に、ずんずんと前進を続けたサッチは遂に浴室前まで辿り着いてしまった。一瞬の躊躇も無く、マルコを捕まえているのとは逆の手でドアノブを掴み、開け放ってしまう。瞬間、むわりと暖かい湿気が二人を覆った。

「よォ!“拾いもの”少年!!おれァ4番隊隊、…長……」

 サッチの声には浴室特有の綺麗なエコーが利いた。心地良く伸びる声に更に上機嫌になりながら、サッチはシャワーの音がする方へと顔を向ける。そしてそこで、湯煙の中の藍色の瞳孔と確かに目が合った。…確かに目が合った、のだが。
 中途半端に途切れたサッチの声とリアクションのない少年を不思議に思い、マルコも湯煙の向こう側を覗き込む。

 そこには先程と相変わらず、驚くほど白い肌と銀色の髪と生意気な藍色の目を持つ少年がいた。
 濡れた髪は鎖骨にかかるぐらいまであり、白い肌はシャワーの温度で微かに上気している。
 だが、彼の胸には本来ある筈もない…ふたつのふくらみが、ついていた。
 マルコは驚きのあまり、それを無遠慮に凝視してしまう。

…ガチでポロリじゃねェかよい

 先程サッチが言っていたアホな作戦は、あながち失敗では無くなってしまった。
 少年、否、少女は突然の乱入者たちに双眸を丸めている。

「えっ、ええええええ!?女の子!?おい!マルコ聞いてねェぞ!!お前抜け駆けしようと
してねェよい!!少し黙ってろサッチ!」

 顔を赤くして突如テンパりだしたサッチを一喝するが、マルコ自身も実はかなり驚いていた。ここまであれだけ言葉を交わしていたのに、なぜ気付かなかった?今こうして彼女を見れば、明らかにどう見ても少年ではないのに。
 少女は体を隠そうともせず、丸めた双眸を数度瞬かせて先程までのような強気なそれに変えた。濡れた前髪をかき上げ、シャワーに体を打たれながら2人を睨みつける。

「……知られたくねぇこと隠すのは当然だろ。他言は無用だ」

 その威圧的な物言いで、やっぱり目の前の少女はあの少年なのだと当たり前のことながらマルコは今確信した。
 男にしては幼い顔立ちだったので15歳くらいだろうと思っていたが、こうして見ると18歳か17歳ぐらいの少女だということが分かる。それにしてもその歳で、仮にも異性に全裸を見られてそのリアクションの薄さとは。と、思ったところで今までそれを無遠慮にじろじろ見ていた自分に気付き、マルコはさり気なく視線を逃がす。

「おお、結構クールじゃねェの。“拾いもの”ちゃん」

 マルコとは逆に、今度はサッチが無遠慮に少女に声を掛ける。少女はそれを無視して髪を流し始めるが、サッチは笑顔を絶やさずに言葉を続ける。自分だけ出て行くわけにも行かず、マルコは大人しくサッチに首をホールドされたままでいた。

「なぁ、こいつ顔コエーだろ。おれはこいつよか優しいぜ」

 マルコを指差し、サッチが声を出して笑う。すると意外なことに、少女は少しだけサッチたちの存在を気にし始めた。それも視線でちらりと見遣る程度だったが。先程までの明らかな無関心とは確実に違って見えた。
 それはつまりおれの顔がコエーって部分に同意したのかよい、とマルコは少しだけ複雑な気持ちになってしまう。サッチは笑みを深め、尚も続ける。

「おれは、サッチ。こいつは、マルコ。お嬢ちゃんは?」
「…それに応えたら出てけよ」

 遂に少女が応えた。マルコは驚き、少女を見る。少女もきちんとこちらを向き、2人の顔を見ている。
 そういえば、確かにこうしてきちんと挨拶はしていなかった気がする。
 サッチのコミュニケーション力の高さに素直に感心するも束の間、彼女の白い肌に何か黒いものが見えた気がして、マルコはそちらへと意識を移した。彼女の左胸の上にある黒くて大きなそれは、薔薇の形を模した刺青のようだった。


か!邪魔して悪かったな!ごゆっくりー!」

 マルコの視線に気付いてか気付かずか、彼女は相変わらずの淡々とした口ぶりで名だけを答えた。
 サッチは彼女との約束通り、薔薇を凝視していたマルコをまたも強引に引っ張る形で浴室から上がると扉を閉める。そこで漸くマルコはサッチの腕から解放され、すぐさま2歩ほど彼から距離を置いた。あの湿度の中で野郎と密着していたせいか、首周りがやたらとジメジメする。

「…マルコ」

 サッチは湿気でしんなりしてしまったリーゼントを直しもせず、シリアスな顔でマルコを振り返り見る。そのあまりにも真剣な表情に面食らいつつも、もしかしたら彼もあの薔薇の刺青を見たのかも知れない、そしてそれについて何か知っているのかも、とマルコは微かな期待を寄せて彼の目を見返した。

「……なんだよい」

 サッチが、マルコの両肩をガシッと掴む。

「ありゃァ上玉だぞ…」
「…そりゃ良かったな…」

 期待したおれが馬鹿だった。
 本当なら今ここで頬に紅色を乗せて目をキラキラ輝かせるこいつを一発殴っているところだが、あの少女の名を知ることができたのは紛れも無くこいつのお蔭だ。それに免じて、マルコはハイハイと呆れたように溜息を吐くのみで済ませる。

 
 マルコは心の中でその名を反芻し、次からさらりと呼べるように記憶した。