最強、冷酷無慈悲、鬼より怖い。などと世界中から穏やかでない言葉で形容されるエドワード・ニューゲート率いる白ひげ海賊団だが、彼らは特に毎日返り血に溺れる訳でも、無抵抗な人々から金品を奪って周る訳でもない。
彼らは毎日大きなクジラの形を模した海賊船内で起床し、わいわいがやがやと飯を喰い、洗面し、それぞれ船の掃除や鍛錬、昼寝などに勤しむ。そして昼間には飯を喰い、夜には酒を飲んで喰って寝て、また朝を迎える。たまに命知らずの敵襲があれば迎え撃つし島があれば上陸するし、街を荒らすものがいれば撃退したりもするが…それ以外は大体和やかな毎日の繰り返し。暴れない海賊なんてナンセンス?それは違う。彼らは“自由な”海賊なのだ。
そしてエドワードという“親父”の下で共に戦い、共に生きる、兄弟で家族なのである。
その日は雲ひとつない青空の広がる快晴で、彼らはいつも通り、各々長閑な昼下がりを過ごしていた。
「マルコ隊長ー!」
見張り台から自分を呼ぶ声に、マルコはのろのろと首を持ち上げた。ぼんやりと目を通すつもりで本を開いたが夢中になっていたらしい。いつの間にか随分と日が高くなっている。本に栞代わりの指を挟んで閉じ、日陰から歩み出て陽射しの眩さに目を細めては、見張り台の方へと返事をした。
「なんだよい」
「9時の方向に何か見えます!小船でしょうか!人が乗っているのも確認できます!」
見張り台の位置は高い。ゆえに彼の声は一瞬にしてマルコ以外の船員の耳にも届き、瞬く間に甲板にいた船員達が9時の方向へと集りだした。最近は戦闘もなく、島の影も見えずで皆退屈していたのだ。マルコは野次馬と化した船員達の背で出来た壁を眺め、深々と溜息をひとつ。
「おいおい…小船って…どんな命知らずだよい…」
ここは猛者たちの集う“偉大なる航路”後半の海、“新世界”。船員と設備をそろえた大きな海賊団でも攻略は不可能に等しく、何より生き残ることの難しい海だ。そんな海を小船で渡ろうなど自殺行為のようなもの、むしろ、ただの自殺だ。
直接見てきた方が早いだろう。マルコは素早くそう判断し、その身を不死鳥へと変えた。翼になった腕を振るえば青い炎がちかちかと甲板の上を飛ぶ。常人なら見惚れるような光景だが、生憎船員達はそんなマルコの“悪魔の実の能力”に見慣れてしまっている。4番隊隊長のサッチなんて「早く行って見て来いよ」とにやにやしながら不死鳥の翼を小突いて急かす始末だ。
「そう騒ぐようなことでもねェだろうがよい。…ちょっと待ってろ」
サッチの胸に今まで持っていた本を押し付け、マルコは空へと羽ばたいた。翼に押された空気が船員達の服や髪をばさばさと揺らす。船員達がそれに目を細め、改めて空を仰ぎ見る頃には、既にその青く美しい鳥は光の尾を引きながら9時の方向の空へと消え去っていた。
マルコはぐんぐんと上昇し、適当にそれを止めた。我らが海賊船、モビーディック号の全景が掌に収まるサイズに見える。そこから視線を9時の方向へとずらしていくと、確かに真っ青な大海原に小指の爪の甘皮がちょんと浮いているような、小さな影が確認できた。あれか、と声に出さずに呟けば、それを目掛けて急降下を始める。
瞬きを重ねる度に“それ”はハッキリと見え始めた。
“それ”は本当に小さな船で、船室も何もない“帆のついたボート”だ。サイズは人がひとり寝転がればそれでいっぱいいっぱいになるぐらい。そのスペースをいっぱいに使って、誰かが寝転がっている。服は汚れて元の色が分からず、血のシミらしきものが茶色くなって固まっている。この陽射しの下を航海しているのが嘘のような白い腕が破けた袖から伸び、片方は腹の上、もう片方は顔へと伸びている。手の甲で顔を隠されているせいで顔は分からないが、髪は白か、銀色か。
大方、どこかの海賊船で何かやらかして流刑に処された老人だろう。そして恐らく、既に息は無い。
やはり、とりたてて騒ぐようなものではなかった。ただの死体だ。
マルコは両方の翼を広げ、海に風を送って降下を止める。それから、折角飛んで来たついでにと、その船の手摺へと足を下ろした。枝に止まるのに適した足が船の手摺を掴む。その重さで船が揺らぐ。
するとその死体は揺れに反応し、真っ白な腕をぴくりと動かした。明らかに意志を持って、船の揺れとは逆方向に。
死体だと決め付けていたせいか幾らか面食らってしまい、マルコはぱちくりと大きな瞬きを繰り返す。
「なんだ!?おい!生きてんのか!…返事しろよい!」
マルコは声を荒げ、その死体、否、老人に呼びかけた。こんなボロボロの雑巾以下な状態でもまだ生きているのか。この辺には島もない。それに、見たところ食料も水も何もこの船には乗っていない。こんな状況で、生きていられる筈も無いのに。
その老人は、顔に乗せていた手をずるりと重たげに引き下ろした。これで確定した。まだ息がある。マルコはふわりと宙を舞い、その老人の顔を真上から眺めた。
しかしマルコはまたもや予想を裏切られ、出すべき声も出ずにただ目を丸めてしまう。
そこにあったのはヒゲまみれで疲弊しきった皺くちゃで死にそうな老人の顔…などではなく。
藍色の瞳をした、幼い顔だった。
齢15くらいだろうか。生気は無く瞳は濁り虚ろな視線を自分へと向けているが、随分とかわいらしい顔をしている。一瞬女であることを疑うが、この過酷な状況を再度眺めてそれを打ち消した。女の体力で生きていられるような状況じゃない。男だとしても随分と華奢だ。この細い体のどこにそんな生命力があるのか不思議で仕方がなかった。
「かみ、さま」
その少年のからからに乾ききった唇が、波の音に掻き消されそうな弱々しい声でそう紡いだ。
そこでマルコは自分がずっと不死鳥の姿のままだったことを思い出すが、そうしている間に少年がふっと瞼を伏して意識を手離してしまう。マルコはすぐさまその少年の襟首を大きなクチバシで挟み、モビーディック号へと再度フライトを開始した。
その少年からは、錆のような血の匂いがした。