目を覚ませば視界いっぱいにローの寝顔。こうして朝を向かるのは、もう何度目のことだろうか。

 華奢に見える割に意外と逞しい腕に抱かれながら、あの生意気な目が開いてないだけで随分可愛く見えるなぁと、わたしは幾度目とも分からない同じ考え事を繰り返す。クールでドエスで意地の悪いロー船長の、なんとも幼い寝顔。これをこんな距離で独占できるなんて、彼のことが大好きな身としては幸せこの上ないことだ。

 だからこそ、不安になる。こんな幸せな朝は、あと何回で終わりを告げてしまうのだろう。それはすごく先のことかも知れない。明日のことかも知れない。ローが突然わたしの手元から去ったとして、わたしに彼を引き止める術なんてどこにも無いから。余計に不安でどうしようもなくなる。彼はわたしと違って気紛れだ。気さえ変わればどこにだって行ってしまう。きっと簡単に次の人を見つけてしまう。わたしにはローしか居ないのに。

 この瞼を次にこうして眺めるのは、どんな女なのだろう。見えもしない相手に嫉妬を覚えながら、わたしはローの頬にそっとキスを落とした。ローはこそばゆそうに一瞬だけ眉を顰め、重たげに瞼を薄く開き、軽く瞬かせた。彼の不機嫌そうな瞳孔が、ぼんやりとわたしを捉える。ぼーっと半分眠ったままのローの顔がなんだか間抜けで、わたしは笑ってしまった。

「……どうした、

 低く掠れた声でローが問う。わたしは否定を示すべく首を横に振った。

「なんでもないよ」

 わたしのこんな汚い部分、あなたは知らなくていいの。ローはそんなわたしを見つめて瞬きを二度三度繰り返してから、ぐーっと伸びをした。毛布がそちら側に持っていかれてしまい、素肌のままの肩が外気に触れる。朝の気温に素肌はきつい。寒さに、ふるり、と肩を震わせてしまうと、伸びを終えたローが「悪い」と毛布を掛け直してくれた。そんな小さな気遣いも、次はどんな女に見せるつもりなのかしら。

。…なんでもねェってカオじゃ、ねェな」

 にやり、と口角を意地悪く吊り上げてみせながら、ローの指先がわたしの頬を軽く抓る。…わあ、驚いた。何に驚いたって、思ってる以上にわたしのことを掌握されてるってことに、驚いた。どこまでバレているのだろうと怖くなる反面、すごく嬉しいのもまた事実。だってつまり、ローもそれだけわたしを見ててくれてるってこと、だから。彼が見破ったわたしの本心は“わたしが隠したがってるってことだ”ってことも含めて、既にお見通しなのだろう。だから彼はこうして態々尋ねたのだ。なんて意地の悪いひと。そんなところがまた、いとしくてしょうがない。頬を抓られたまま声を殺して笑うと、ローの指先がそっと退いていく。もう、何を隠しても無駄な気がした。

「うん。…ほんの少しだけ、ね。妬ましくなっただけなの」
「…妬ましい?」

 ローが不思議そうにわたしの言葉を反芻した。わたしはこくりと頷いてみせる。

「ローは、その気になればどこにだって行けちゃうでしょ?」
「ああ」
「だから妬ましいの。あなたの気紛れで自由奔放なところが」

 あなたが気紛れでさえなければ。自由奔放でさえなければ。…そもそも、海賊なんかじゃなければ。わたしはこんな不安にとり憑かれること無く、しあわせな明日のことばかりを考えていられるのに。ほんの些細な嫉妬は独占欲へと色を変え、それはわたしの腕をそっと持ち上げさせた。わたしの両手がローの首に纏わりつく。指先に感じた命の蠢きが、芽生えた嗜虐心に拍車を掛ける。このまま指先に力を込めれば容易く彼の呼吸を奪うことが出来るだろう。けれどローはその両手に抗おうともせず、ただじっとわたしを見ていた。ねぇ、ロー。あんまり抵抗してくれないと、わたし自惚れちゃうよ。ローはわたしに殺されたがってるんじゃないか、って。

「ここであなたの息の根を止めたら、わたしのものになってくれる?」

 その視線も、指先も、意地の悪い笑みも、白い首筋も。ぜんぶ。珍しくシリアスにわたしがそう尋ねると、ローは肩を震わせてくつくつと笑った。わたしの独占欲すら彼にとっては笑える程度のもの、らしい。そう思ったら熱がすーっと速やかに引いていって、わたしの指先から力が抜けていくのが分かった。彼の首筋から滑り落ちようとした掌を、ローの一回り大きい掌がぱっと捕まえる。

「奇遇だな、

 冷えた指先でわたしの掌を撫でながら、ローが言う。何が奇遇なのか分からなくて思わず首を傾げると、ローは一層笑みを深めた。悪役と名付けるに相応しいような笑顔。…これ、すごく悪いことを考えている顔だ。なんとなく嫌な予感がして、わたしはそっと眉を顰めてしまう。そんな些細な表情の変化など構わずローは言葉を続ける。

「おれも昨晩、ちょうど同じこと考えてたんだ」

 彼の薄い唇が、指先に続いてわたしの掌に掠めるようにして触れる。

「どうすりゃをずっと独占してられるか、って」

 愉しげなローの目が、鋭くわたしの瞳を射止めた。殺意すら滲んで見える彼の視線に自然と身体がすくみ上がるのが分かる。後退りをしたい気持ちでいっぱいになったけれど、わたしの肩を抱く彼の腕がそれを許さない。恋人である筈のわたしに向けられた純粋な殺意。理由は分かっている。ローは、本気、なのだ。わたしが少しでも彼から離れて行こうとしたら、きっと、この手で。微塵の迷いも無く、わたしを。類は友を呼ぶ、だか、似たもの夫婦、だか分からないけれど。ともかくこんなにも都合の良い利害の一致があるものなのかと、わたしは不覚にも肩を震わせて笑ってしまった。怯えるフリぐらい出来たなら可愛げもあるというのに。

「わたしが殺すまで死んじゃイヤだからね」
「おれのセリフだ」

 わたしの掌をそのままベッドに縫いとめて、わたしの上へと移動してきたローが笑う。今までのやりとりが何やら彼の情欲の琴線に触れたらしい。彼の瞳は今さっきまでの殺意とは違った意味でギラついている。そろそろ部屋の外の船員達の足音も目立つようになってきたって言うのに、この船長は何を考えているんだか。まったく、こんな朝っぱらから随分とお盛んですこと。



 空嘯いた共犯者 


(殺意にも似た、懇願のキス//2010.02.12)