わたしはサンジくんが魔法使いであると信じて疑っていない。彼の手は、まるで魔法のように様々な料理を作り出すからである。些か大胆すぎやしないかとツッコミたくなるような大きなステーキから、食べるのが勿体無くなるような、彩り鮮やかなオードブル。そして今わたしの目の前にある、白いお皿に乗せられた可愛らしいチョコレート・ケーキまで。どんな食材でも、サンジくんの手に掛かれば素敵で美味しい料理になってしまう。
 今だって、サンジくんのその“魔法”を見逃すまいと頑張って手元を盗み見てたのに、がしゃがしゃ、とろとろ、ちーん、でいつの間にやらケーキの出来上がりだ。

ちゃん、そんなに見つめたらケーキが溶けちまうぜ」

 じいっ、とケーキを見つめていたら、サンジくんに笑われてしまった。わたし今そんな風に揶揄されるほどケーキを見つめてたのか、と自覚してみたら異様に恥ずかしくなって、慌ててぱっとケーキから目を背けた。サンジくんがまた喉の奥で押し殺すようにして笑って、それを誤魔化すようにして言葉を続けた。

「ご一緒に紅茶は?」
「…あ、ホットで、ストレート!」
「了解」

 かちゃかちゃ、と陶器の音をさせながら、サンジくんがわたしのところへと歩いて来た。丁寧な物腰でお皿とティーカップを音も無くテーブルに着地させて、琥珀色の紅茶をティーポットから注ぐ。そして終いに、銀色のスプーンが刺さったシュガーポットを隣に添えた。柔らかくて丁寧で俊敏な動作を終えた彼の手は、彼自身の胸元へと退いていく。

「本日のおやつはシンプルなガトーショコラ。どうぞ、ご賞味あれ」

 良く教育された執事みたいな礼をして、サンジくんが格好付けて言う。…本当に格好が付いちゃうから性質が悪い。それにしても、このホイップクリームと苺とセルフィーユ、粉砂糖、挙句にはチョコレート細工で飾られたシルクハットみたいなガトーショコラのどこがシンプルなんだろうか。こんなの、わたしが必死で頑張ったって作れる気がしない。

「いただき、ます」

 彼の言うシンプルは、ガトーショコラの味のことなのかも知れない。だって、あんなにあっという間に出来ちゃうんだもの。そう思ったわたしは、フォークでさくりとガトーショコラの一部分をすくって口に運んだ。さくっ、ふわ、とろり。濃厚なチョコの味が口の中で広がって、すぐに溶けて消えた。甘すぎない、のに、苦すぎない。程好い甘さの余韻を、ホイップクリームが更に柔らかくしてくれる。ちょっとどういうことですか。どこがシンプルなんですか。すっごく、おいしいじゃないか!


「…うわあ…美味しい…!すごく美味しい!」
「そりゃァ何よりだ」

 緩むほっぺもそのままにサンジくんを見上げたら、ニッ!と歯を見せた悪戯っ子のような笑みが返って来た。まるでわたしが美味しいって言うのを分かってたような、そんな笑顔。そんな彼を見ていたら胸がきゅーっとなった。好奇心と感動とわくわくで、心臓がどきどきし始める。やっぱり、サンジくんは魔法使いなんだ!

「サンジくんって、本当に魔法使いみたいだね!」
「…魔法?」

 きょとん、とサンジくんがわたしを見下ろす。わたしは、勢いよく頷く。

「うん!どんな食材も一瞬で美味しい料理に出来ちゃう、魔法!」
「ま、ほう?」
 
 その一言を最後に、サンジくんは小さく吹き出して笑い始めた。さっきみたいな笑いじゃなくて、可笑しくてたまらないといった感じの、いわば爆笑だ。そっぽを向いて、顔を俯けてお腹を押さえて。声は殺してるけど全身が震えてるからすぐに分かった。サンジくんが笑っている間に、わたしはガトーショコラをもうひとくち。やっぱり、美味しい。

「…それ以上笑うなら、うっかりサンジくんにフォーク刺しちゃうかも」
「ははっ!そりゃ怖ェ!笑っちまってごめんな。…でもよ、ちゃん…魔法って…」

 くくっ、と笑って、また肩が震える。ううん、なんとなくこの反応は予測してたけど、ここまで笑われるとは思ってなかったなぁ。思わずムッと眉間に皺を寄せると、サンジくんの魔法使いみたいな手が、にゅっと伸びてきて視界から消えた。それと同時に、頭の上に体温。あれ、撫でられてる。突然の事態に、ガトーショコラをもうひとくち食べようとしてたわたしの手の動きが止まる。

「そう不機嫌な顔すんなって。クソ可愛い顔が台無しだぜ?」
「…くそかわいい、って、褒めてるの?貶してるの?」
「褒めてんだよ。ばーか」
「…もう一回訊くけど、」
「だから、褒めてんだって。バカな子ほど可愛いって言うだろ?」

 頭の上の指先が動いて、くしゃくしゃと髪が踊る。もはや撫でられてるのか乱されてるのか分かんないけど、とりあえずわたしの心の中は完全に今ので乱されてしまった。くしゃくしゃ、ぽん、でいつの間にやら料理にされてしまいそうで怖い…なんて言ったらサンジくんはきっと笑うんだろうな。いっつも優位なとこに立ってて、わたしのことこうやってからかうばっかりのサンジくんが、むかつく。

「サンジくん、むかつく」

 きっぱりとサンジくんの目を見て言ったら、さすがに予想外の言葉だったみたいでサンジくんの指の動きが止まった。そのタイミングを見計らって、わたしは頭の上にあるサンジくんの手を掴んで、引き下ろす。なされるがままのサンジくんの手はだらりと脱力していたけれど、あったかくて大きくて、ちゃんと男の人の手の形をしていた。血管の薄く透けた綺麗な手の甲に、そっと顔を俯けて、むに、と。ほんの一瞬、唇を着地させた。

「ッおおお!?なっ、ななななにしてんだちゃん!?」

 王子様がお姫様にするような、けれどそれをごっこ遊びにしただけのような、幼稚なキスだった。だけどサンジくんは面白いぐらいに動揺して、顔を真っ赤にさせながらわたわたとわたしを見た。だからわたしは、にこ!と今日一番の笑顔で、魔法使いみたいなお姫様、もとい、王子様を見上げる。

「でも、サンジくんの手は好きだよ!」



 しあわせをご賞味あれ 


(姫から王子へ、尊敬のキス//2010.02.07)